デスペラードな愚か者時代 一巻『愚か者よ』

「だが何もしないよりはマシだ。」のはなし。

2014年3月4日

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「何かをすること」の一つ

どうしようもない状況でずっと退屈でいるよりも、

はるかに楽しい。

何かが起こる、何かを感じる、
思う、想う、怒る、共感する、感動する。

とかそんなの。何かやることがある人はそれをすべきだ。不安が消えるほどに。やれるだけのことをやるべきだ。 だが とにかく立ち止まって、どうにも動けない時、一度自分のことをよく考えることがあってもいい。

というかそうしないと判らないでしょ。

義務とか責任とか見栄とかのために生きられないからどうしようもないんじゃないの。

目的がないんだよ。

 

やらされてるだけで。

 

どうか私は私の人生を生きるべきだ。

他人の人生を生きて自分を殺さないで。

 

目的は探さなくてイイ。

ただし楽しむことは出来る。

今はとりあえず。

 

ゲームは所詮娯楽だがそれがどうした

しかしそれだけでは飽きてくるし(正確には慣れるだろう) 実際、現実がどうしようもない時、 ゲームなどやっていても現実逃避でしかならず、 抱えている問題を解決してくるものでありえない。 基本は。

そういう問題を抱えている人がするべきは、経験に比する限り、

対処できることに全力で行動することだろう。

或いは気分転換などを交えて。 とにかく行動すること。前向きに。覚悟を決めて。

気分転換や何かのひらめきなどはゲームなどでなくともなんでも得られる。

自分は新商品の開発を任された事がある。

自分でプレゼンした事から始まったものだ。しかしなかなか思ったように行かず、 「どうしてうまくいかないんだ」とよく落ち込んだ。

そうしている時はただ落ち込むだけだ。

だから様々なことを一旦全てやめてこれだけに集中した。 そして考えられる全てを試した。 徹底的にかたっぱしから試した。 そして商品を出すその日の朝方までやってなんとか満足行くものが出来た。 結果もまずまずだった。 「あの商品はないの?」という問い合わせがよく来ていた。(期間限定だったから)

小さな経験である。

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"夏野菜のピリ辛みそゴマだれ冷やし中華麺" 『お祭り冷やし』
(と炙り焼き豚メシ小盛)

これは夏野菜を多く使って仕上げた期間限定の特製冷やし中華だ。 アスパラの甘みがあり、 きゅうりやパプリカの食感と色あい。ふんわりな錦糸卵とクラゲのコリコリ感もあり、 オールスパイスピメントとタンドリーチキンスパイスをまぶして バターで軽く揚げた鳥のモモ肉が香ばしくてカリッカリするわけで。ナスはその場で揚げて軽めの塩とごまをまぶしただけの素材を活かす仕上げで堂々と熱々のうちに乗せる。 中華ダレは2段変化するタレで、 はじめは食欲をそそるピリ辛みそダレであっさりでかつコクのある旨さを。 次は添えてある芝麻醤(チーマージャン)のゴマだれが混ざっていきまろやかで濃厚な味わいで飽きさせず、こだわって特注した風味の強い玉子麺と絶妙に絡み合う。かと思えばフレッシュでジューシーな赤トマトがそれを調和する。 多種多様に楽しめるお祭りのような冷やし中華。ワガママバディな逸品。

 

ハッキリ言って調理時間はかかるし、アスパラやナスは注文受けてからの揚げになるから場所とるし。 コストもかかるから普通はできないようなもんだけどね。 イベントだったから日頃のサービス商品として考案した形。 正直こーゆー仕事は嫌いだし、

接客業などは死んでもやりたくない。

今は。

だがコレは「自分で考えたことをやれる」という主体的、能動的なアクションであったから楽しかった。

それにチャレンジしたのもすべて”最初のシゲキ”があって、行動したから。 自分はそう思っているし、そうとしか思っていない。 小さな経験。

ゲームの話。

自分は、

実際ゲームを全くやめようと思った時があった。

というか今でももう、建設的に使わないのならば基本的には絶っているだろう。ゲームはシゲキになるが、別段、役には立たないからだ。 今、自分がゲームをやるのは、企画のためと、ブログのためである。 普通は、 普通大人になったら辞めていく。 所詮は娯楽だ。と。

娯楽の何がイケないのかは知れないが。そんな余裕はないということか。)

 

最初のシゲキ。そして伝説へ。

だがゲームは一般的に自分に2つのことを与えた。

それは、

  • 様々な物事を体験するシゲキ。
  • 目的を持って行動することの楽しさ。

である。

(個々のタイトルで言えばさらに多くを影響された。それらは普遍的価値を持つものであったからである。)

一般的にはこの2点。

コレは事実である。

飛躍も誇張も何もない。

事実である。

やってみれば解ることである。

何もすることがなくてそれでもこの文を読んでいる人があるのならば、

1回だけ試してみるとイイ。

すぐに言っていることが解るだろうから。

そしてそうであればこれらがどれだけ価値あることなのか解る。

 

まず、何事をするにもシゲキは重要なんだ。

 

それは他の物事でも受けられる。

しかし、

世界一周であったり、空手道場へ通ったり、スキューバダイビングなどを、 なんのツテもなく行うことは想像以上に困難だ。

そんな行動力があるだろうか?

勇気があるだろうか?

きっかけが。

 

それ自体がまだ面白いと決まったわけではないのに。

 

情けない思考かも知れないが、

そうであるのだからしょうがないのだ。

出来ないものは出来ない。

 

しかしゲームやマンガや本は簡単に手にできるのではないか?

 

たしかにそれらの物は所詮大したものではないかもしれない。

所詮はそんなものだと言えばそうかもしれない。

しかしそれでも何もしないよりはマシではないだろうか。

やることがある人がわざわざやる必要はないかもしれない。

 

しかしそうでないなら、

今立ち止まってしまっているなら、

何もしないよりはマシではないだろうか。

 

たしかにゲームやマンガから得られるものなどは、

人生を、

最終的に決定的にするものではないかもしれない。

 

人生の目的を与えて、

仕事を与えて、

常に寄り添い支えてくれ「この人のために生きる」とか、

自分の生きる意味を、

そんな風に決定的にはしないかもしれない。

 

しかしそれは”最初の決定”であり、

最初の一歩であるはずである。

 

最初の決定としてその後に影響を及ぼすのだ。

もう一度言う。

ゲームや漫画から得られるものも、
最初の決定としてその後に影響するのだ。

 

「何もしなかった後悔」の一つ

退屈で死にたくなるよりも。

どうしようもないと思われる不安に憤っているだけよりも。

義務と責任と見栄のためだけに動いて死にたくなるよりも。

目的など無いのに。

 

そんな辛さに1人で無意味に耐えているよりも。

 

ずっと楽しそうなことではないだろうか。

だっていろんな事ができるのだから。

さらにゲームは体験できる。

「動けば変わる」快感を知ることが出来る。

正直、こうなってしまうと動かずにはいられなくなる。

 

「どうしてもっと色んな事しておかなかったんだろう……!!!!」

 

だから自分から動くことになる。


そしてそうであれば楽しいのだ。

 

何かを永遠に待ち続けて

 

死ぬほどの退屈と、

死ぬほどの不安と、

死ぬほどの焦せりの中に居続けることよりも、

それはきっとはるかに。

 

「自分を創る」の一つ

そして、

いまどうしようもなく、

そしてどうしたらよいのか、

どうしたいのかすらわからない時、

明確な問題があるわけではなく、

ただ何も無い時、

義務意識だけで生きているのを実感して動けなくなってしまっていたりする時に、

 

一旦、自分のことについて考えることは必要ではないだろうか?

 

それくらいの立ち止まりはあっていいのではないか。

生まれてから一度もレールから外れないで、

他人の決めたであろう道を粗相無く歩かなければいけないなんて、

 

”怒られないように”歩かなければならないなんて。

 

ソッチのほうが異常なことではないか。

 

今現在うまく行ってない、精神のバランスが取れないのは大体、 ”合っていない”からだと思う。

だから自分のことを考えみる時間が、

自分にいろいろな経験やシゲキを与えてやる時間が必要なんじゃないだろうか?

そうじゃないだろうか?

そうでなくとも、

何もない「無」の状態や義務や責任だけに押しつぶされる状態が続くことを考えているよりも、

 

どうしたら楽しいか? どうしたら面白いか?

 

に生きた方がはるかにいい。

どうせどうしようもないなら面白いことをすればいいじゃん。

だからすぐにやれることをとりあえずやる。

そしていろんなシゲキをうける。

だって退屈でしょ。

今は。

そうでしょ。

だからなにかやる。

目的はないけど。

やる気もあんまりないけど。

退屈が続くよりはマシ。

朝も夜も明日も明後日も今年も来年も変わらないのはマジでつまらなすぎる。

 

何のために?

じゃなくて、

ソッチのほうが面白いからやる。

 

それだけ。

それだけで少しはマシになる。

それがシゲキ。

 

なにか理由があって出来ないなら、

死ねばイイ。

諦めればイイ。 敗ければイイ。

敗けることは悪くない。

やるだけやったならば。

むしろ気持ちがいい。

やるだけやったならば。

 

やるだけやったのにどうしようもならなかったなら、
結局それは自分ではどうしようもならなかったことなんだから。

悩むだけ無駄。

苦しむ必要もない。

そして死ねばイイ。

死ねないなら儀式でも何でもやって死んだ気になればイイ。

敗けても、

それでもまだ生きていたら、

なにかやればイイ。

 

苦しむことなんて無い。

 

これだけ苦しんで動いていたってどうにもならない世界のためになんでこんなに苦しまなければイケないのだろうか。

 

だから辞めればイイ。

 

 

 

そうすると暇になる。

 

 

 

暇になると不安が襲ってきたりする。
死ぬほど退屈だ。

 

だからシゲキを受ければイイ。

 

そうすれば色んな感情が生まれる。

 

でもいきなり遠いところにはいけない。


そんな気概はない、勇気はない、きっかけもない。

それは恥ずかしいことかもしれない。
情けないことかもしれない。

 

けどそんなもんだ。

認めろ。

自分は弱い。

でもこれからやってけばイイ。

 

最初はゲームやマンガならすぐだ。


いろんな事に出会える。


それは大したものではないだろう。


けど最初はそれでいいはず。


まだ全然知らないのだから。

 

シゲキを。

 

だからその程度で最初は十分だろう。

 

そこから先はその後に出てくること。

 

シゲキはなんでも受けられるけど、

最初はお手軽で、

さらに、

「動くと変わる」が体感できるゲームは悪くないと本気で思ってる。

 

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

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愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

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