デスペラードな愚か者時代 一巻『愚か者よ』

「動くと変わる快感」のはなし。

2014年3月5日

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楽しいということ

私は言った。

ゲームには目的があったと。

そしてシゲキがあると。

それは色々な事がそこでは展開されているからである。

およそ実際にはない起こりえない起こり難いものごと。

それらが素敵であるかどうかは別として、

 

様々なことが起こる。

 

それらは直接的には目的に、

人生の目的に関与しない。

 

なぜなら、そんなものは実際には存在しないから。

 

サッカーに憧ればサッカー選手を目指せる。(簡単であると言っているのではない) しかし、世界を冒険し剣と魔法で闘うドラクエの勇者にはなれない。(まあ近いのは、革命運動者くらいかな

 

だから直接目指せるものではない。

 

どれだけ憧れても、

この現実の世界を生きる希望や目的には成り得ない。

少なくとも 自分はそうだった。

 

誰かが何処かで言った。

 

「それに近いものを探せばいいんじゃない?」

当時は鼻で笑ったが、今思えば至上の案かも知れない。

 

だがそもそものことだが、

 

別に生きたいわけではないのだ。

 

恐ろしいことに。そして不遜なことに。それでもである。それでもそうなのである。どれだけの状態でも、よほど一時的な状態でない限り誰だって死に恐怖する。様々なことから恐怖するのである。これらの全てを常時麻痺させることが出来るのは一時的にか、絶望時のみである。

 

だから本能的に生きようとはするだろう。
しかし”その気”はないのである。

 

自分は。

 

”積極的に生きる目的を探すという事はない”

 

だからわざわざ似たような物事を探すことなんてしたがらない。

ゲームはそれ自体、人生に”目的を与えない”と言えるかもしれない。

直接的には。

(サッカーゲームとかの現実ものなら別だろうけれど)
(普通にゲームの開発業界目指したりとか)

そして(刺激)シゲキは漫画や映画でも得られるだろう。

本でも。

自分がそうだ。

しかしそれと同時に自分が思うことがある。

 

それは「動く」ということ。

 

ゲームの中で行動するのである。

我々は。

オレたちは。

それは大した行動ではないだろうし、

スゴイわけでもない。

リスクがないから行動できるのは当たり前だ。

でも、

 

「動くと変わる」ことを知ることが出来るのだ。

 

簡単に。

どんなことでも行動するには勇気や、努力、理由などが要る。

どんなことも行動が大事と言われるように。

逆に言えばそれが何より難しい。

 

だがゲームはすぐだ。

だってリスクがないから。

 

ゲームでの行動が実際の行動力に影響するとは思えない。

そうは思う。

確かに。

だってリスクがないからできること。

でも、

 

動けば変わる。

この快感、価値、尊さは学べる。

自分はそうだった。

 

誰にでも当てはまらないかもしれないだろう。

自分が何か世にスゴイことを成したわけでない。

というよりそれで人並みの生活を送れるようになったというのですらない。

(そんなものに一切興味ないが)

 

 

もうやる気が無くなって何もできなくなった時。

すぐ近くにゲームが在った。

 

 

それがイケないのだと人は言うだろう。

 

だが何がイケないのか?

 

ファンタジーに溺れ現実を見ないからか?

確かに見れないが、

見たところで人と同じ生物何号が出来上がるだけだ。

 

人と違うものを見れたから人と違うものになれると思ってる。

 

それじゃ悪いか。

あとづけ論だとも言える。

今の自分はもうどうしようもないので、
それを正当化するしか無いから。

確かにそうかもしれない。

だがそれがどうしたというのか?

 

そうだとしてなんの問題があるのか?

 

家庭が、国が、世界が、

どれだけその人間を「うまく教育」しようとして、

考えた方法が行き届かずに、

そうではない生き物が生まれてしまったとしても、

そうなってしまった自分からしたらどうしようもない。

それでも存在している以上どうにかしなきゃいけない時がある。

 

”そう思う時”、

いい様に考えなくてどうするのか。

 

それが自分の個性だと。

自分だけの道だと。

それが自分の武器になるんだと。

思わなくてどうするのか。

 

勿論自分ではそうなってしまったとか、

悪い道であったとかは全く思わんがね。

大体どんな道だろうとどんな人だろうと苦しみや悩みのないものなんて無いでしょ。

 

自分なりの戦いを抱えてるだけだ。

 

だから分かち合える奴らだけで徒党を組んで力をつけたりしてやってきたんでしょ。歴史的にも。 ユダヤ人だってまともに考えればそんな宗教捨てれば利口なのに、そうしなかった。それはもう個人の自由だから。 その結果として 大戦期の虐殺にあったり、今のパレスチナ紛争を引き起こしたりしてるけど、 本人達からしたらそれが生き方なんだからどうしようもないわな。

なんか日本のゲームからパレスチナ紛争までいっちゃったけど。

この世の最後方支援地域から最前線までいっちゃったけど。

自分はとにかくシゲキがほしい。

この文脈だとかなり危険だけども。

 

 

そして行動したい。
行動しなければそれで終わってしまうから。
何かしたいわけではない。
大きな目的は無い。

 

 

ただもう何もしないで居続けることは無理だ。

 

変なスイッチ入れられたから。

それはゲームによってがかなりの所あると思う。

他にもいっぱいあるけど。

 

 

何もしないのは最初楽だ。

でもすぐ地獄だ。

(贅沢は承知)

 

 

何もない。

心が動かない。

感情もない。

無だ。

ゲームやマンガやアニメですごい顔して戦っている奴らを見ると泣けてくる。

自分が虚しくて。

ゲームなら少しは気が晴れる。

自分も参加した気になれるから。

だから好きなんだと思うね。

そんな気にさせてくれるから。

まあそんなの言ってると情けなくなるのも少しあるけど。

 

でも実際そんなもんだった。

自分は。

なかなか行動できない。

実際は。

そして何も動かない。

変わらない。

 

でも周りだけは変わっていく。

ほんと最初はなにか起こるんじゃないか、

気持ちが変わるかもしれない、

とか思ったりするけど、

当然何も起きない。

いいようには。

何もしなければ、

何も起きはしない。

そうでしょ。

 

そうじゃないとしても、
さすがに10年も何も起きなければもう、
そうとしか思えなくなる。

 

ようやく。

そんでとにかく「動かしたい」 この人生を。

とにかく。

前でも後ろでもいいから。

成功するとかしないとか、

生きるとか死ぬとか、

そんなんどうでもいいから。

とにかく進めたい。

 

どんだけ変わんないんだよと。

10年も同じジーパン履いてんなよ。

それを聖骸布とか言ってんなよ。

セイントクロスとか呼び習わすなよ。

まあいろいろ考えに考えまくった期間ではあったし、

いろいろな想いを抱いたりしたいい時間でもあったし、

「自分」を創ってくれたトコロだったけど、

もうそろそろいいよって。

 

そろそろ動かしたい。
だから動いて色々やってる。

 

ただ相変わらず目的が定まらないので色々やってる最中で。

 

コレを「風のない時代」という。

 

本も遂に経済の本まで手を出しちゃってるし、なんやねん国富論て。シリングてなんやねん。 水田のこと泥地とかいうなよ。ほんでシリングてなんやねん。とね。興味はあるんだが、まーそっちは得意そうな人に任せようか。ゲームの方はもう作りたくなってきてしまったので いろいろ考えてチャレンジするけどまあダメだね。でもそれでパソコンにしがみついて キーボード打てるようになってるしねー。自分はそういうことしない人だと思ってたんだが。次は英語でもいってみるかとね。ちょっと英語に用があるかもしれないからね。でも我流なら結局英語圏に行ったほうがいいからね。まあそこら辺はまたぼちぼちですな。

 

それでまあ、このブログもやってるわけだ。

「自分にしかない価値」を上手いことやるために。

 

それなりにやってみて、まあ正直うまいこと出来る気がしねえけど、

そんなのはまあ、

関係ないからね。

とりあえずはやりきってみる。

としてる。

 

題材はゲーム。


歴史でもよかったが、
勉強も兼ねて、

 

まあ、ゲーム。

 

※今は違う(2015年)

 

シゲキを受けるのはなんでもイイ。

それは目的を探すことよりずっとイイ。

だって目的はそれ自体に魅力はないから。

持ってみて初めて価値になるんだから。

だからそんなもの探せない。

探す気にならない。

 

すこし阻まれればやめちまうよ。

得られなかったことに気を落として、

それが2,3回つづけばアウトだよ。

 

でもシゲキ自体はそれ自体が刺激的だ。

これだけだと消費活動で不安から解放されない。

麻薬のようなものかもね。

恐い例えだけど。

実際は。

まあなにも動かない「無」よりはそれでもマシかもね。

自分は興味全くないけど。

それやるくらいなら世界中を旅して野垂れ死ぬね。

できればだけど。

まあ気持ち的にはってこと。

その気持ち的にはってことをほとんど出来てねえからやっぱりどうなるかは解らないね。

ただなんにせよ刺激を受けて、

行動をしていけば、

面白いんじゃないかと思う。

少なくとも、

 

①「ただ過ごす」から

②「いろんなことを能動的に体験する」へ

 

いろんな事がまだまだたくさんあってそれに触れるのは、

 

新鮮で、

刺激的で、

感情的で、

感動的なことだから。

 

そしてそうであれば楽しいのだ。

心が動くのは。

 

またそうであれば続いていける。

そうであれば力を付けられる。

そしたら多分なんでもできる。

 

少なくとも「なんにもできない」という無力感ぐらいは倒せるだろう。

 

大げさだけどあながちウソじゃないと思う。

何も感じない、思わない、無の状態よりはるかにいい。

 

さああとは、
この段階から違うことが出来るかどうかが、


問題なんだ。

 

とりあえずまでは意識的にやって来たわけだがコレを続けてても飽きてくるだろう。シゲキだけでは。 しかしコレは矛盾した表現だ。シゲキを受ければ、行動したくなるものである。

 

しかししかし、

 

その対象が大体の場合 現実には存在しないのが、 フィクションのシゲキだということなわけだ。 とりあえず自分の言うところでは。

 

さらにしかししかし、

 

「動けば変わる」ということを、 知ることが出来るのがゲームであるというわけだ。 自分の言うところでは。 そしてこのことは言葉では伝わらない。 体験しないと。 その本当の所は。 マンガや小説から受けたシゲキを活かしている人はたくさん居るだろう。 こういう言い方は言い訳がましいかもしれないが、 もはや聞こえ方などどうでもよいので言うが、

 

その手の人は基本、
目的があって、
その事に活かしているのである。

 

ゲームはそれ自体、大体ファンタジーである。 ぶっ飛んでいる。世界が。 実際の世界には到底ないものである。 (だから面白いんだけど)

 

それでもやはり、共通点を見出すことはいくらも出来る。 幻想水滸伝は自分にいろんな事を与えた。 それは歴史につながり、 戦争につながり、 人間への興味につながった。

 

直接的にさえ考えなければいくらで活用できる。

 

それは他のものと同じだ。漫画や小説等と。しかし このように普遍的な価値を持った作品は数少ない。 それは何でもそうである。 受け手にもよる。状態にも。だからゲームでもマンガでもなんでも、 釣りでも、山登りでも、 風俗でもパチンコでも、なんでもいいだろう。

 

やりやすいと思うものからやればイイ。
シゲキを受けるだけならなんでもいいから何かやったり観たりしないとイケないだろう。

 

そして、それ自体で面白かったりするから楽しいものである。新鮮なものは大体そうだ。 重要な事は、意識することと行動することであると思う。 このことを求めるのに。

 

今回ゲームの話をしているのは、
自分の直の経験がゲームであることと、
動けば変わるということを体験できるからである。

 

目的を持つためにゲームをするのではない。
同じく、シゲキを受けるのではない。
それ自体が楽しいからシゲキを受けるのである。
ここが重要なことだ。

 

(しかし、それだけでは飽きてくるが)

 

動けば変わるは、

物事を動かしていくために必要な意識だと思う。

それは行動を持続させる。

知らないで、聞いただけでははやはり、

2,3回だめならやめちまうだろう。

実際動いても変わらんし。

変わったのか変わらんのか判らんし、

反応ないし、

何も言われないし、

企画コンテストからすら。

 

でも悔しさだったり、
パソコンの技術だったり、
体験を通して得た経験とかはまあ蓄積してんのかなとか思えるかも。

 

自分のやってきたことを改めて視てみると、それらは誰からも相手にされなかったものだけど、それでも「これやってきたんだな~」とか思える。

ちいせえよ。

ちいせえけど。

でも何もしていないわけじゃないとは思える。

そんな事べつに意味ねえよ。

とか思う時のほうが多いかもしれない。

ただ実際成長してるとも言えるし、

まあ少なくともやるだけはやってる。

 

自分の感性が、世に通じなくても別にいい。

 

自分をここまで動かしてきたのは、

いろんなゲームやマンガのキャラの生き方や史上の英雄たちで、

そしてなにより自分自身の考えや言葉でもあるんだ。

自分を自分で動かしてきたのだ。

それは実際あるのだ。

人にどうされようと自分の考えが価値ないとは思わない。

思えない。

だからテッテー的に自分らしくやる って感じにそれなりには「動いている」わけだ。

 

※一見、辛いようだけど、 別に、 やらされてる訳じゃないし、 何もやれない、どうしようもないとかの感じじゃないし、 次はああする、次はこうするみたいな感じでやることはあるし、 へんなイヤさではない。

 

さあ、長いフリだったが、

 

③段階目とはやはり「建設的行動」である。

 

何かにチャレンジしてシゲキを受けました、

で終わりじゃなく、

その方向を続けることでもっと大きな、

新しい事ができるんじゃないかと思う。

それはなんでもいいのだけど。

何かになりたいとか明確な目的があるのではなくて、

「もっと一段上がった事がしてみたい」

とかそんな感じの状態なんだ。

 

※「夢幻戦記」っていう自分の企画には想いが入ってる。見なおすたびにやたらと面白い。コレは世に出してやらなくては。とか思う気が出てきて、 コンビニでコピーとかですら恥ずかしかったこともやったし、 「シロートが思い付きで考えたモノを送ってきやがった」とか思われても別によくなった。 「ダッセえ」「イタイ」とかどうでもいいわけよ。 テンション上がっとるから。 気持ちが入ってるから。 理由があるからできた。 出来ないことがあるのは理由がないから。であるだけだったのだ。

 

とか思ったり。

 

まあ、テキトーにシゲキは受けとけばいいわけで、 その中からさらに進んでいきたいものが出来るとかじゃないかね。

 

そしてすこし力をつければ、 さらにできることが増えていくだろうし。

 

自分もゲーム企画考えなければ、 パソコン触ることもなかっただろうし、 それならこのブログも書いてない訳だし。 つまり言いたいことは

 

「ゲームをやると”動けば変わる”という事が快感になる(+シゲキ込みで)」

 

ということだ。 本気で。 そしてゲームの題材はだいたいぶっ飛んだファンタジーで ホントにいいものであれば、どんな媒体より感情移入できると思っている。 自分が参加できるのだから。

 

ただ当然リスクもあるからね。

まあ何事にもだけど。

基本は利用次第ってことだから。

根本的にはただの娯楽だからね。

 

やることある人はあんまりやらん方がいいでしょうね。

 

でも 今現在なんにもやることがない人は ホントに積極的にやった方がいい。

本気で思う。

何にもやることがない事が悪いとかそんなことはない。

それは人間的に視ても、

長い人生の一部でしか無いし、

いろんな時期があるはずだし、

むしろあるべきだ。

 

だからこそむしろそういう時期に、

本来であればやる事のなかったモノを経験するチャンスであるはずだ。

 

特にゲームやマンガや本などは手軽だ。

わざわざ長い行動をするには結構な意志の力が必要だ。

世界一周などの挑戦は。

 

そういった物の方がいいように考える人も居るだろうが、

やはりハードルが高い。

 

ゲームや本ならすぐだ。

その程度のものしか得られないかもしれない。

(そんなことは、誓って無いが)

 

しかし何もないよりはマシではないだろうか?

 

今現在、

無味無明の変わらない日々と、

得も言えぬ不安感に苛まれている人間にとって、

なんでもいいから動く理由があることは。

重ねて言うが、

なんでもいいから動く理由があることは。

 

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