家事手伝いの形態の例を以下にあげる。
・母親がいない、病に臥っている、仕事が多忙であるなどの理由から、母親に代わって家事全般を取り仕切っている。
・親が家族経営の自営業を営んでおり、親の仕事を手伝っている。
・家族の疾病や老齢に伴う世話が必要で介護をしている。
・兄弟が多く、年長の(イメージとしては女性)者が、親に代わって弟、妹の面倒を見ている。
【非境界性】「家事手伝い」だと“ふわっ”とし過ぎてる。
「“家庭”における諸事を担っている。」
それが「家事手伝い」。
本来は女性の社会進出が一般的でなかった時代からの流れとして、「花嫁修業中」などに紐付けられる言葉だった様子である。
しかし現在では多様に用いられていて、「老齢の親の介護の為に」というのはそれなりによく聞く話である。それで貧困に陥ってしまったということなどで。あるいは私のように「実家の自営店の手伝い」などもそのうちに入る。
ともあれ、
「家で家事をしていればそれはニートではない」というのが厚生労働省のお言葉として発表されているのでニートではなくなるようである。
ニートと家事手伝いの違い
ニートとカジテツの違いは、
「とにかく共同体にとって何かしらの貢献をしているか、準備をしている」という活動性か。
※ただ実際にはこの定義に当てはまるくらいのことはニートでもしているので、原理主義的なニートとの違いのみであろう
「家事」は家庭の基礎にして奥義の立派なお仕事。
今ほど家庭用の電化製品がない時代、専業主婦さんの役割は重要極まりないものとして高かっただろうし。
米1つ炊くにもそれなりのワザが必要とされたのだから。「家宰」という家庭の中の宰相というが如き役割も在った。
まあそんな時代では核家族的でもないから親類こぞって子育てや家事をしていたというのはあるのかもしれないけれど。
だからニートが家で行う「家事掃除皿洗いゴミ出し」などの雑事だってそれなりに貢献にはなるのだ。
現代でも。最新家電を用いようともエコキュートでもオール電化でも。そう思えると自分の心の引け目が少しは緩和されるのではないか。あるいは「少し立って動く」日課があるというだけでも活動性に効果を発揮するのである。
実際的には「何もしていないニート」はそれほど居ないので、そこまで違いはないが…
ただ「実際にはそんなニートはあまりいない」とは言っても、やはりニート成り立てではまだそういった家庭内貢献に従事する意味や価値も見いだせていないので、家事はしていない場合は多い。
いまだハロワ通いやバイト面接などなどのみを目指していたりする。
それも直接的な求職活動であるからそれ自体はただの無職の求職者でしかないが。
そして「何もしていない時期も一定期間はかならずある」のがニート。
どうしたってある程度の時期は「療養中」や「充電期間」などとして謳歌しようとはするし、あるいは欝から停滞していく時期は、生活環境の大きな変化の際には必ずついて回るから。そこから先は、実際にも行動するか、
「どうにしかなくてはと思ってはいるが…」
の状態に留まるかはまた個々の問題となる。だから「家事」に限ればニートの場合はこれをあまりしてないようには思える。メインとなるのはあくまで「自分ごと。」
だから就活などや、その他の活動についてはやはり、それなりに考えたり、悩んだり、行動してみたりはしているだろうけれど。