相反する意味の合成語なので定義があいまいだが【最低限の労働しかしていないフリーター】というのが有力説。
【非活動性】「フニーター」だとワイルド感が強め。
「フリーター+ニート=フニーター。最低限の労働しかしない人。」
それが「フニーター」。
もうただのプー太郎でよいだろう俗語。そして低収入ニートに限りなく近い。そもそもが存在や定義の曖昧な言葉であるものをさらにかけ合わせたというからフワフワ感の結晶のような言葉である。なんだかアシックスの新型ミッドソールに採用されそうなほどのクッション性を感じさせる語感をもつ。
ニートとフニーターの違い
「収入がない」
低収入ニートとフニーターの違い
低収入ニートとの違いは、
「そんなにワイルドではない」という違和感である。
「新種の底収入ニート」は「労働する個体も存在する」とはしたが……
やはり私のような「好きなことしかしない」というスタイルも多いため、
単純にフリーターという立派な労働者諸兄の性質を半分も含む訳にはいかないというわけである。
ただやはりそれだけで収益化されるほど単純な世界でもないために、
バイトや日雇いといった自由度の高い労働に限って、さらには短時間の労働に限って、さらには「そうできる者」に限って、
労働という少額の収入を得る行為は用いられても不思議はないのである。
が、
フリーターは「傭兵チック」でひきこもり感があまりない。
この労働度合いが強くなると、「時間が拘束され、精神が拘束され、人生を謳歌することができにくくなる」のがニート気質だと考えている。
我々からするとフリーターというものは「若いハンター」のようなイメージをも持つ。
「あくまでも自分の夢を先行させたために、時間的財産を優先させたために、そういう柔軟な状態を持っている」という「選択」だと。
「夢を追うために、気楽にやりたいがために、フリーターで必要額稼いで、あとは遊ぶ」
というある種の「傭兵チックなその日暮らしの美学の如きもの」すら感じさせる。我々のようなひきこもり的な気質のものからすれば。
ただし30も過ぎて夢叶わず、あるいは加齢によって突如として手に職のない状況を恐れだすようになって、我々のような状態へ変質していく事はある。
その点では結果としては同じになるが、つまり「30代ニート」というニートの検索数でもっとも多いワードへと変質もしくは正統進化するし、
いわば「流入」してくるのであるが、
流れとしてはフリーターというのはそれ自体立派な労働形態と考える我々としては、
この語が持つ響きを半分も持たされるというのはいささか荷が重いというわけである。
我々ニートの中には「労働というものを一度も経験したことがない」という個体もすくなくはないのだから。かくいう私も肉体労働などの飲食店労働の経験はあれど(労働奴隷時代)、
あの人類の登竜門として名高い「面接」などを受けたこともないのである。
「ひきこもりという状態移行」について、我々にはそれを「選択した」というほど誇れるような意志はなかった。
ただし基本的にはかなり酷似しており、「愚か者(デスペラード)因子」を持っている点では同じ。
「好きなことしかやらない」という点や「周りに合わせず夢を追う」という点や「中2病的人生」であるのは我々がその身に宿す「愚か者(デスペラード)」なDNAと同じ血統であると考えられる。それが「過程」であるのか「至上命題」であるのかといった違いくらいなもので。無論のこと我々は至上命題である。
参考「ニートな愚か者たちに捧ぐ。-これからどうする?-」ただ言いたかっただけである。