本&漫画
フランクリン自伝
近代の大ベストセラー。
アメリカ独立の父たる一人として近代歴史上にその名を残すベンジャミン・フランクリンの自伝。米ペンシルベニア大学創立。避雷針によって雷を電気であると証明し“天から稲妻を奪った男”との科学的名誉をも得る。そして現在米100ドル札に彼の姿を見ない日はないという偉人。
新聞屋のサクセスストーリーしかよくわからんかったやね。
自伝は読んだことなかったけれどいたるところで彼の話を読んでいたのでだいぶ好きな人物だった。ようやく読んでみたらばそんなに大したことは書いていないと思われる。そもそも「最も活躍した最晩年時代が老齢によって書かれないでいる」というわけで。
独立戦争のくだりやら、その後の重鎮ぶりやら何やらという点は描かれないが、まあその点は世界が勝手に色々と書いてくれているので必要ないということもあるね。彼にしか書けない事というのはむしろ無名時代のは話であるわけだし。
今のまとめニュースサイトのような地点からの立身出世感。
いや新聞屋なんだけど。ちゃんと自分で調査してるんやろな。してるよね?あるいは8歳で学校をやめて家業を手伝い、兄と共同で起業したなんてエピソードはこの義務教育時代にはなかなか再現されにくい現象でありますな。昔はよく聞いたけれど。
オレでも13歳やもんねまったく。
著作権にかなり寛容で「世のために広く用いられるべき」との考え方から、「自らの発明には特許を取らずに広まることを推奨した」みたいなその列伝に、ボクはいたく感心と共感したもので「孟嘗君のように侠気と広い視野を持っているんだなあ」だなんて憧れとったが、実際はコレまた結構やんちゃしている。
兄とも上手くいってないし「これだけの偉人でも全ての人間関係を上手くいかせる事はできないのだな」と。
なんかそんなところが最も印象に残った。しょせんは「結果だけがその人を広く評価するに過ぎない」というだけなんだと再認識。
でもなんで新聞屋さんが突如として電気に興味を持ったのか?
みたいなことがほぼ記されていないのが超不満。どこで勉強したのかとか。基礎的な科学の体系はどの様にやったのかとか。金も人脈もあったから動きやすかったというのはあるだろうし、電気はこの時代の最注目エネルギーだったのでそっちにパワーを向けたということなのか。これから調べようーっと。
あとはフリーメイソン設立構想とか。
あの秘密結社としてひどく有名なあのフリーメイソンの話も述懐しているような点がチラホラと散見。(そうだよね?ちがう?)基本的には教育機関みたいなもので、「互いに互いを高め合う有識者サークル」のようなものらしい。意識高い系の人達が集まるという。純度あるいはブランド力保持のために入会は一般開放されておらず、紹介のみで構成されるという点がのちに秘密結社ネタになるみたい。(そうだよね?ちがう?)
消されたくないからここらでドロンしますわ。
映画&アニメ
ホームアローン
ひとり、遊ぶ。
これまた伝説のホームドラマ。昔からよく金曜ロードショウやらで観たねー。最近また観たら「うわこの騒々しさ無理だわ」ってリアルに引いてしまう。いやあの冒頭の旅行前夜の大家族シーンで。あんな愚衆の中でまともに育つことは出来ないもんねボクは。いやその昔はまさにアレの只中にあって先頭に立って騒いでいたんだけど属性が反転してネガジェネシスしてるからもう無理。マジで引く。
子供一人の夜ってサイコー。
そうして今のソリスト活動に心からしんしんと感謝する毎日。改めて。「自分」という共通の友を愛するものとだけ関わればどれだけ良いだろうかと。思い新たに天に感謝する毎日。
ひもてはうす
コスパ良さそう。
新作コメディアニメなんだけど、「今の時代っぽいなあ」って低予算気味な企画。いまコストかけてもアニメ市場は飽和してるだろうし。昔のアニメって言ったらみんな共通のアニメだったと思うけど、今ではもう多岐に渡りすぎてアニメというジャンルだけでは話が通じないレベルでさ。
時間もユーチューブ動画レベルの数分。
OPもEDもコンパクトに収まりキャストやキャラの魅力が出る仕様。
というかアニメじゃなく3Dモデルによることでアニメーターもいらない(?)
そして本編はほぼキャストによるアドリブトーク(?)
いろいろと裏方に金がかからなそうで、しっかり作品のテーマを決めて、マーケットも絞って、リリースされているスタイルに
気持ちよさを覚える。作品の効率具合に。
なんかアニメの不況を聞くたびに「あの手描きアニメは相当効率悪いだろうなー」とか思ってたから。というかみんなに思われてるだろうけど。ジブリ映画や化物語映画みたいな描き切りならエグいほどスーパークオリティなアニメ表現が可能で良いだろうけど(売れればペイできるだろうし、その見込みがあるから映画にしてるわけだから)、
連載アニメは絶対クオリティ維持できないんだから。
ガンダムSEEDとかひどかったもんね。あれだけのビッグタイトルですら描き絵に金をかけられないんだからそりゃ無理でしょう。2002年からそれなのに。
話とかメチャクチャだからできることなのかもしれんけど。
ゴッドファーザー
ファミリーとは。
言わずとしれた伝説の映画。マーロン・ブランドやアル・パチーノ、ロバート・デュバルにロバート・デ・ニーロのお歴々がアウトレイジ。日本のヤクザものより厳つくならないのがマフィア映画のスタイリッシュさ。なぜだろうか。ハットとコートの影響?ドラドラやかましくないのがスマートで、
いわゆる“シットダウン”というシチリアンマフィアの交渉の仕方がタメになるような。
その後の様々な映像シーンの参考にされていそうなシットダウン文化ではあるね。お昼のランチを決めるのにもシットダウンするほどだというし。まあそれはそうとゲーム・オブ・スローンズでも「家族(ファミリー)」間の対立も描かれたが、まあファミリーと言うかコミュニティというか。最近はそんな組織に興味ある。
どうして「一家」が建ち、繁栄していくのか。
別に、結婚して子供を作って「はい一家ができました」ではないわけ。そのコミュニティはなぜ生まれ、紡がれ続けるのかという意味でのファミリー。戦国の織田家も武田家も豊臣家も、それらの勝者であり250年続いた徳川家も失くなった。古代ローマも失くなったし、時代は常に移り変わるね。
よほどの愚か者か怠け者でない限り、
このわずか53年間の間にローマ人が成した大偉業がなぜ可能であったのか?
それはいかなる政体のもとで可能であったのか?
知りたいと思わないものはいないであろう。
ポリビウス
というように、「なぜ彼らだけが?」という疑問は常に抱かれる。勝者たちに対して。それは1度や2度の勝者たちではなく、勝ち続ける王者に対して。
今ん所はロスチャイルド家がその対象か。
レオン
エンタメは大事。
超名作と名高き「レオン」ですわ。なにげにスマホから寝起きがてらアマゾンプライムで観たら面白いね。殺し屋ジャン・レノのつぶらな瞳とあのナタリー・ポートマン少女バージョンによる「孤独な大人と子供の不器用な交流によるヒューマンドラマ」みたいな印象あったけど。
そんで暗いイメージ。こういう作品性が高そうなドラマは。
退廃的というか、メッセージ性というかさ。ちょうど自分の世代のクリエイティブな作品ってそんな「バッドエンドで何事か考えさせる」みたいなものが多かった気がするんだけど。いやロッキーの時代からそういうことはあったみたいで、ベトナム反戦のときにはよく流れたとかいうし。だから真逆の熱血エンタメであるロッキーが大ヒットしたとか。それが一段落するとカウンターとしてまたバッドな雰囲気が蔓延するというサイクルでしかないかもしれんね。
だがレオンは違ったね。むしろホームアローン的なやつだったね。
コメディだった。まあなんやかんやでいろいろバッドな展開もあるけど結局エンタメとして「望むように」気持ちよく終わる安心感。やっぱりエンターテインメントには価値があると思ったね。ドキュメンタリーとかそういうのもいいけどさ。改めてフィクションやエンタメのパワーというのが理解できたような。
年取るとエンタメ需要高くなる。
そういえば「静かなるドン」って漫画で出てきた岡羅以蔵と静子はこれがモデルなのか。
クリミナル・マインド
長いときはショートカット見が善し。
それが2018年現在12シーズンを数えるご長寿ドラマ「クリミナル・マインド」であります。この手の特捜ドラマはよくあるね。「Xファイル」は超常怪奇事件。「CSI」は科学捜査。この「クリミナルマインド」は行動分析捜査という。いわゆる「プロファイラー」たちによる事件簿ね。あの犯人の人となりを分析して行動パターンから逮捕に繋げるという。
1話完結をキッチリやり通してるので、
展開的には同じものが12シーズン続く感。
コレは毎週1話のために作り出されたご長寿番組だから、無理に通して観ることはないと判断。シーズン2くらいまで観て、あとはメインキャストたちの話が動きそうな「通しシナリオ」をピンポイントで追うくらい。Wikipediaで確認して。もう最近は少し知ったハナシをwikiで確認して驚くというシゲキにハマってる。効率良いし、意外に淡々と文章で記述されているショッキングな出来事は想像力を駆り立ててくれるから逆にこちらのイマジネーションを高めるってわけで。まあレビューとか評価とかするには説得力は欠く見かたになるけど、
別にそんなことしないなら「この観かた」は使える。
フィアー・ザ・ウォーキング・デッド
裏返って本家より気になる。
あのゾンビサバイバル「ウォーキング・デッド」のスピンオフ。本家は主人公リックが目を覚ますと壮大なドッキリを仕掛けられていた的な「しんしんとした状況」から始まるけど、こちらはアウトブレイク前の「感染拡大」から始まる「世界がジワジワ壊れていく感」を演出していた。
初期評価はクソだった。世の中全般的に。
自分でもなんでつまらないんだろうかと幾つか理由を積み上げてみてもそれほどしっくり来るモノはなく、ただただ「なんかつまらんな」程度の域を出ない。本家みたいなコミュニティが造られるサバイバル感とか、ダリルみたいな可愛いキャラとか、そんなキラーコンテンツがないからなのかどうなのか。それともゾンビや緊急事態という要素よりも家族やコミュ間の学生ドラマテイストな内輪揉めに興味がわかなかったからなのか。とにかくフィアーはシーズン1以降流し見で済ませてたけど、
シーズン3くらいからまるっと面白くなって。
まああとから見返したら2も面白かったけど。聖人に治められる集落とかホテル内抗争とか変わりやすい展開だし、ウォーキング・デッドのメインシナリオでは描かれない「その他の」コミュニティのバリエーションを多く描けているわけだし。「文明崩壊後に現代の町並みがどうやって利用されて人々は暮らしているのか」という一種のファンタジーとしてさ。
シーズン3では白人農場と先住民族との闘争なんか起きちゃって。もうゾンビ関係ない。
ゾンビが関係なくなってるのは本家もそうなんだが、本家と違ってフィアーの方は面白くなった。個人的な趣味に合致したのかもしれないけど。「アメリカ開拓史において切っても切れない一大闘争史が顔を出しているこのシーズンは個人的に好み」というね。
そしていつまで経ってもどこへいっても国がつくれない。
そりゃ作れちゃったら難易度も下がるしドラマとして終わっちゃうとか変わっちゃうんでしょうがないけどいっつも妄想しちゃうよね。「壕を掘って堕ちたゾンビは燃やしていけばよくね?」「結局、長槍をみんなでファランクス出来ればよくね?」などなど国防構想を巡らせるのが楽しいこのシリーズ。
そんなこんなで殺人鬼ことモーガンによるウォーキング・モーガンのほうが楽しみなこの頃。
もうただの感想しか出てこないけど。
ガンダムUC 0096
まだシャアで楽しめる。
今やファミリーを築いたガンダムシリーズの中でも本編筋に当たる「宇宙世紀」の正当後継作品がユニコーン。放映当時ちょこちょこと観ていたけどちゃんとイッキ見。ほぼフル・フロンタルが楽しい。
遠いな。
人類の革新を目指したジオン・ダイクンの理想には遠く、
隕石を落としてでも人類全てを宇宙に上げようとしたシャア・アズナブルの狂気とその熱情には程遠い。
ミネバ・ザビ
このセリフだけでユニコーンをすべて楽しめるというくらい、大河&スターシステムは恐ろしい破壊力を秘めているね。
あと思念体で個別訪問するのやめてほしいんだけど。
ガンダムシリーズではよくある「人の想い」の具現化表現ですけれどね。まあまあね。それはいいんだよ。感情移入してくれば普通の物理法則下における表現では足りないがゆえのね。そういうのは。しっかし時間差でもって個別に訪問してくるのは自由すぎるでしょこれ。マリーダさんこれ。ちょっと寂しくないんだけどこれ。個別訪問とかこれ。
サイコミュとかいうたら何でもOKみたいなこれ。
ニュータイプやらサイコミュやらと、初代ガンダムが生み出した落とし子たちのゆくすえが一番気になるガンダムユニコーン。人類最大級の神秘を科学で追い求めるガンダムはガンダムユニコーン。続編も決まったとか。
科学の進歩と人間の神秘化によったパラドックスこそ青臭かったシャアそのものって感じ。
Gのレコンギスタ
劇場版『Gのレコンギスタ Ⅰ』「行け!コア・ファイター」 (セル版)
なんにも表せていないオモシロさある。
ガンダム生みの親が近代に放り込んだ「子供のためのガンダム教育」ということで観たかったやつをdテレビで拝聴や。展開そのモノは王道も王道で貴種流離譚まで登場するちょっとしたファンタジー調になっておられたね。時代はファーストガンダムの「宇宙世紀」が行き過ぎた果てに文明が崩壊し、1000年後あたりにリバイバルしていこうかという頃合いみたい。
ファンタジー系ガンダムや。
「∀ガンダム」に見られた「超文明後の退行世界」では中世文化と近代文明の遺産がハイブリッドしてファンタジー感が形成されるみたいだけどそんな感じ?昔のジブリ時代のアニメ映画によく出てくるような。「天空の城ラピュタ」や「風の谷のナウシカ」やルパンの「カリオストロの城」とかあるいは新海誠の「星を追う子ども」とか。あるいはまた往年の名作RPGにみられるようなさ。
王道のファンタジーをリアル世界重視なガンダムとしてやることで、子供に「これはファンタジーでもなんでもなく実際に起こる問題なのである」ということを思い知ってもらうためのメッセージなのかなあと。思ったね。純粋に。
でも尺が足りなすぎなのか、ナニやってるのかスッと入ってこない(笑)
最近こんなに内容入ってこない映像みたよ面白すぎ。逆に。いろいろ観たり読んだりしているとストーリーとか世界観とか大体共通点あるしそこまで気にしなくなっちゃうけど、表現の手法とかは気になる。
映像にしろ文章にしろ独特の構成とか進め方ってあるんだけど、Gレコもそんな見方がはっきりできる。
なにかの文法とか手法を学校やらナニやらで教わってやってる作品ってとても見やすいんだけど印象には残らない。
まあそれだけ気にならずにシナリオや映像に没入させるというのが目的だからそれで越したことはないんだけど、
それから逸脱したモノをみると変な面白さある。
これはシロートが作ったモノを観てもそうなるし、超ベテランが好き勝手にやったのを観てもそうなるのが面白いとこ。
「こういうコマや描写が抜けるとぜんぜん伝わらんのだなあ」とか。説明も。
でも「それがだんだんクセになってくる絶妙の度合いもあるから何でも教科書通りではいかんのだなあ」とかさ。
まあGレコはどっちもどっちなところがチラホラと感じられたということで。「閉じちゃってー」とか独自の言い回しとかフシギで面白いし。でもナニやってるかよくわからんらんしで。
レコンキスタとかシオニスムは「テラへ」で楽しむことを推奨。
※レコンキスタ…イスラム世界に征服されたスペイン南部を奪回しようとする運動。大航海時代の本拠地とも言えるセビリアはそれだからイスラムと地中海文化が混ざり合っていて独自の美しさを持っていたけど。
※シオニスム…世界に散り散りになって迫害されたユダヤ人が聖地エルサレム(シオンの丘)に集まってユダヤ人国家を作ろうとする運動。現在イスラエルとして実現したが、その際にひきおこした数度の中東戦争、そして今にも続くパレスチナとの紛争の最中にある。
伝説の起業家
なんでこんなに面白いの
伝説の企業家 ~アメリカをつくった男たち~:(吹) 新たな戦い@hulu_japanで視聴中: https://t.co/jDcQPJTvrV
— フライングニートマン・ムラクモ (@murakumo25) 2018年8月27日
今期一テンション高まった。
最近こんなのが一番おもしろい。今期ってどこからどこまでなのかっつってね。Huluでヒストリーチャンネルなる今期二テンション高まる放送枠にホイホイつられていったらこのザマ。
歴史って大体は政治や軍事や経済の視点から形成される。
アパレルやスポーツではなく。それは、ほぼすべての人の生活に影響を及ばさずにはいられないから。イコール人類史になる。今日では活発な企業競争も昔は存在しなかった。商業はあれども政治にはそのチカラ及ばずにむしろ政治とイコールであったからなのか、社会の法制度が成熟してきて政治に無理やり取り潰されることがなくなったからなのかはよくわからないんだけど、
ようやく「人類史=企業」の時代がやってくる。
それは新大陸アメリカで興って経済革命を引き起こし、歴史の主役に登壇していったという流れ。鉄道王ヴァンダービルト、石油王ロックフェラー、鋼鉄王カーネギー、金融王&電気王J・P・モルガン、自動車王?ヘンリー・フォードというアメリカ起業時代のストーリーは激オモ。ここに至っていわゆる「会社」とか「社長」やらという存在が「英雄」とか「名将」といった人類史の英傑たちとおなじ調子で語られる様になっていくね。まあ世界大戦の時代ともリンクしてくるけれど、よく叩かれるだけで成果の見えにくい今日では政治の世界に英雄が出てきてくれないのでそうなる図式。ジョブズやら。
オレも起業してんのかなってちょっと思った。
このブログとかでさ。だから今期一テンション上がったのかもなって。古代の英雄たちの話はもうこの歳ではどう演じようもないが、“こっちなら”すぐできるってことなのか。そんなサラリーマン的なところに結局帰結したというのか。
アウトランダー
スターウォーズ 最後のジェダイ
ルークがルークらしい。
スターウォーズ最新作だけどさ。初代シリーズの主人公ルーク・スカイウォーカーが隠居時代にご登場する。それだけでファン絶叫ものであろうけれど。
ただこのルークはジェダイっぽくない。それがいい。
そもそもジェダイの騎士の黄金期(エピソード1.2.3)などではない滅亡期に育ったルーク。まあ確かにヨーダに教育を受けているとはいえヨーダはヨーダでシリーズ初作ではキャラが定まっていない具合だし。そんな人から教育ウケてもね。「とにかくそうなのじゃ」としか言わんもんね。もっと言い方あるやろってね。肝心なことはもう「寝る」というはぐらかし方してたもんね彼は。テクないでしょ彼は。そもそも教育に向いてないからね彼は。オビワンもだけど。ジェダイの崩壊はヨーダが全世代に渡ってトップに居続けたことやなこれは。
ルークは所詮「ジェダイごっこ」だからね。もとから。
ゆえにこの映画で描かれるジェダイっぽくないふるまいも、彼の持つ背景やキャラクターになんともマッチしていて、いくら老練に歳を重ねてジェダイとしての技をもっていようと、どこか抜けているというか子供っぽいというか
器の小さいというか、そんな哀愁を感じさせてくれた。
自分はスター・ウォーズの初代シーズンを見たのが2015年なので変なイメージ肥大もなく、ルークのイメージはピッタリに思えたわけ。監督さんもつくるにあたって原作から取り入れてるんだろうし。(自分の中のルーク像がそうだったというだけなんだが)
だからそのルークらしい「人間らしさ」「キャラクターらしさ」が愛らしいわけ。
これであのルークがマスター・フィストーやマスター・クワイガンのような仏心に満ちたジェダイの鏡のような立ち振舞なんてした日には、もう彼はルークでなくていいわけだからさ。自分の中では彼はルークとして歳をとってルークとして生きた様に思えたよ。確かにジェダイの騎士としては強くなったのだろうが、後進の育成はまるで出来ない。
「名選手名監督にならず」みたいなことで。キャラじゃないもんルークの。
「すばらしい。いま言ったことはすべて間違っている。」
雰囲気だけ出すテクを習得してしまったルークはオビ=ワン風に言うと「教育を間違えた」ってわけでしょう。最後にそれ言っちゃダメでしょうまったく。アナキンがかわいそうまったく。オビ=ワンもつくづく弟子がおかしい。
後カイロ・レンもなかなかキョドっていて新しいような古めかしいようなキャラクターで興味ある。
展開は読めちゃったけどさ。ローズの破壊力に驚倒。ローグ・ワンのキャラ生きていてほしい。
ブラッド・スローン(ショットコーラー)
ジェイミーとシェーンが出とるやん。
故に見たやつ。アウトレイジと同じで「バイオレンス」やら「刑務所の特殊性」のようテーマがはっきりしていていいよね。映画ってとくに短いじゃん。その他のコンテンツと比べても。漫画にしろアニメにしろ小説にしろもっと長く描ける。もちろんその分の内容も充実させられる。はずなんだけど、
大体は結構ブレブレになりがちだったり。「はじめの一歩」とか。
テーマが定まっていないというか、なにを表したいのかどう伝えたいのか。もちろんちゃんと1から10まで設計していれば長いコンテンツでも無駄なく作れるのかもしれないけれど(事実上いろんな意味で無理だろうけどさ)、
映画はコンパクトだから必然的にまとまりやすいのかも。必然的に。
4コマみたいに。それは道路の白線とかワードのグリッド線なんかのように。あれ無いと縦も横にもラインがブレブレやもんね。まあそれでもよくわからん映画があるのはあまりに構成が下手すぎるのかそもそもこの枠では描ききれるはずもないのかってことかね。
なんでも削ぎ落としていって本質的な要素だけで骨組みしてしまうのが良さそうだと勉強した感。
そしてようやく肉付けして適正な尺にするべきだと。いや動画とかゲームとかつくってるからさ。
ゲーム・オブ・スローンズ
「幻想水滸伝」を思いだすやつ。
大ヒットドラマシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」がプライムに追加されたので一気観。去年のウォーキング・デッド一気観と同じ時期に幸せなことやで。ジョージ・R・R・マーティンによるファンタジー小説「氷と炎の歌」を原作とした「権勢の椅子取りゲーム(負ければ処刑)」が展開される。
「王道古典戦記」×「昼ドラ」×「ヤクザ」×「ファンタジー」×「幻水」
という感じのタグ。自分的には「よくみてきたタイプのコンテンツ」なもんだから衝撃的な面白さというよりは「懐かしい面白さ」を感じる。ファンタジー戦記にまつわる幻想的で非現実的な世界観と雄々しい武芸シーン&誇り高き謳い上げの数々、一家一族同士の権力闘争と醜い内輪もめ、
そして綺羅星のごとく登場するキャラクターたちのローションマット上でヌルヌル絡み合うような群像劇。
いろんな視点主人公たちによって同時進行するシーンの連続が視聴者の興味を飽きさせないテクニックはさながら幻想水滸伝のトリニティ・サイトシステムを彷彿とさせる。
とにかく幻水の面白さが全米に認められたような気がしたってことやで。
デナーリス・ターガリエンちゃんのドヤ顔にイライラしてベーリッシュ公のドヤ顔に癒やされるお年頃になってしまいました。
それにしても「ちゃんと視聴者の望むような展開を用意してくれる」のがありがたいわけで。この手のドロドロ陰謀物では厭世感を表現するためにストレス溜められる事が多いものだし、またそんなダークな世界観を表現することにだけ終始して終わってしまうことも多いんだけど、
ゲーム・オブ・スローンズでは必ず借りが返される展開なのでスッキリさ。
「そうだ指の爪を一本づつ○○して耳を○○してひん剥いて目玉を○○してやれよしやったねこりゃよくやった!!」って気分になっちゃう。
キング・アーサー
グレート・ウォール
ざーーーーっとした映像たち。
アマゾンプライムでは週末にビデオナイトと言うキャンペーンを催しており、低価格で視聴できるというわけで視てみたやつたち。
キングアーサーは、本来ならそれなりの工程を踏む「アーサー王物語」を1映画として収めるために「流れ作業的な撮り方」をしていて新鮮。
グレートウォールは、もうだんだんと「この人たちなに遊んでんの?」ってなる。合間合間で「なに言ってんの?」ってなる。
いや2つとも面白いんだけど「王道な名作映画たちとは一風変わった時間を提供してくれる」わけ。いろんな撮り方があるんやなあと。脚本だけで映画の楽しさは決まらんなあと。少し視野が広くなれるシゲキ。
スノーデン
すべてNASAに視られている。
という2013年のエドワード・スノーデンによる国家監視告発。まあ「そんなに隠すこともないけど」という市民たちにも「だからといって勝手に視られることを許すことは何をされてもいいと言ってるようなものだ」的なニュアンスがひしひし伝わるね。
「テロ防衛のため」といえば「それくらいはまあいいか」なのか、それじゃあ「税金ももっと取るけどいいよねテロ対策資金が必要だし」みたいなことにもなっていく。
かもしれない。
飛躍ではなく。
「だんだんだんだん感覚を麻痺させるほどじわじわ権利の侵害をしていくことで、人はいつかすべての権利を侵害されても何も言えなくなる」
という心理のようなさ。
それは民主国家においては「やがて衆愚政につながっていってしまう」という壮大なメッセージ感。
そもそも「政府」が「なになにをした」とか「政府」が「規制した」とかいうけれど、
「政府」とは「国家」ではないし、
あくまでもその執行機関であって、
「国家それ自体は国民みんなのことを指すはずなんだよなあ」と。
すくなくとも民主主義的な国家においては。理論上。
したがって理論上は「政府がやることは国民みんなで統制ができるということなんだよなあ」と。
選挙とかでさ。一応。概念上は。
ゲーム
ファークライ5