【信州・姨捨とは?】「田毎の月」×「おばすて伝説」×「お月見」のハナシ
信州更科は「姨捨の里」たるや日本有数の“名月の里”である。
段々畑の棚田の一枚一枚に月が映えるという「田毎の月伝説」に歌われる風景でお月見を敢行(観光)してきたぞ。
No.8「月の都とニートと栗まんじゅう」
“田毎の月”という心象風景を肴に栗まんじゅう。
「棚田の一枚一枚に月が映える」というもっぱらの触れ込み伝説であるが、実際には不可。色々実験もされたようだけれど不可らしい。しかし、6月の水田鏡に月が代わる代わる移り変わって映える姿は、「いまにも遂にはそのすべてに宿ったのでは」と見まごうばかりな印象をうけてしまった人たちが京の都で触れ回った「心象風景(心やイメージの中にだけ存在する景色)」なのではなかろうかと全力フォローを受けて命脈を保つ名月スポット。
「雪見だいふく」と迷ったけど溶けても困るし「栗まんじゅう」に。
※しかし棚田の景色は一年のうちに様変わりを繰り返すから景色を楽しむなら幾らか注意だ。6月くらいになると水田になるので鏡下水月状態を楽しめる。9月くらいには稲穂が立ち並ぶ様がみられて壮観。10月だと焼け野原。
月の都「姨捨の里」アクセスマップ
信州更科といえば「月」、「棚田」、「更科そば」、「古代体験パーク」である。それらがオールインワンパックでこの地図の中に濃縮しているのである目覚めよ。
姨捨の“田毎の月”
「棚田の一枚一枚に月が映るさま」が月の都のゆえん。
なんだとか。
まさか地元が月の都だったなんて。
まさか。
心の準備とか全くですけれど。
蓬莱弁とか?
しゃべらないと?
いけないパ。
名月の里、日本三名月、棚田百選
どうも月の都民です。
口コミで広がった月の評判?
とにかくこちら信濃更科姨捨地方は「月の名所」として知られているみたいである。それは平安時代などにしきりと「あそこの月よかったよー」、「あの月はまじカンドー」だなどと伝わり始め、極めつけは「古今和歌集」に歌われた一句によってブームが爆発したとかしてないとか。してないかもね。
棚田-TANADA-タナダ
そして棚田とは、
「狭い日本の山がちな地形を利用して少しでも水田を確保しようとした姿」なのである。日本以外でもあるけど、とにかく山の傾斜部分まで水田や畑にしてしまうサイコーにクールなスタイルが「棚田-TANADA-タナダ」なのである。
月+棚田=田毎の月
ということでこれらが合わさった結果、「月が棚田の田毎に映える絶景」の伝説がお生まれになるのであるとかないとか。しかし実際にそんな光景は生まれないとか。
日本三大車窓 ~そうとは知らず揺られてく地元民~
絶景ポイント。
姨捨駅を通過する線路(篠ノ井線)から見渡せる平野が、日本三大車窓になっているということを後々になって知ったけど。
「うわ~なんかこの景色やばくないかなあ?なんて言うんだろほら、やばくないかなあ?」
なんて思っていたわけですけどね。当時は。松本なんかいく時にね。そうしたらやっぱり日本三大車窓だったというわけでびっくら仰天しそうだったもんね。まあ流石にそこまではしなかったよね。うん。意外と人ってそういうとき冷静じゃない。
姨捨(おばすて)と月
慰めがたい?
わが心慰めかねつ更級や 姨捨山に照る月を見て
おばすて伝説でも有名な土地。「古今和歌集」という昔の日本の音楽シーンを彩ったベストアルバムにおいて歌われるこの一曲。
「親を捨てに行って帰って来たものの、あんなに輝く月をみていては全然慰めらんないっ。」
ということらしい歌。
これはどういうことなんだろうか。
・月がきれいだからそんな綺麗なものをみていると罪悪感で押しつぶされそうになるということなのか?
・地元の象徴みたいな景色を見て、家族だった頃の懐かしい記憶が蘇って来て、とか?
「慰められない」ということは慰めようとしているわけであるけど、自分に正当性を持たせるべくする心の行為は「言い聞かせる」ようなイメージ。慰めるというと「仕方がなかった」というイメージ。「仕方がなかったと言い聞かせる」というのはおかしくない。
ではなぜそれを月がジャマをするのか。
全然別件で途端に、
「あ、月きれいじゃん」
っていうことも有り得るな。
注意が散漫になりやすい人は特にそうなる。
気を取られただけつってね。
ただ単に落ち着きが無いだけつってね。
でもそのあとちゃんと迎えに行ってるんだからそんな無関係な事ないか。
俳聖も一句
おもかげや姥ひとりなく月の友
松尾芭蕉は日本最強ポエマー的な感じで超有名ですけれども。
やはり姨捨伝説の「悲」の部分と月の都の「美」の部分を歌っているのでしょうか。
「なく」は泣くとも亡くともされる。
泣くは悲しい。
亡くはどうだろう?
置いてかれたババが泣いている。
或いは、
もうすでに亡くなったあと。独りで。
もう事が済んでいるので取って返すこともできないただただ現実を横たわらせておくよりはない、といった「悲しいの極地」にあるであろう瞬間を表した?
その後はだんだん時間が解決していってしまうからね。
あるいは単に、
だーれも、
あの姨捨伝説にうたわれるイメージからくるような婆ちゃん一人いない、
だーれもいない綺麗な月の夜だったよ。
みたいな自慢なのか。
とか言ってみる 月の夜
フライングニートマン
姨捨伝説 ~BBAショック~
おばすて=伯母をすてる=お婆ちゃんを捨てる
という伝説の残る土地がこの姨捨であるとかないとか。
子供の頃の遠足かなにかで文化館の映像資料館かなにかでそんな映像かなにかをみさせられた記憶あるけど、
「そんなのどこでもやってたんじゃないの?日本史でしょこれ?」
みたいなイメージだったが何故かこの地方のおばすてプレイがあまりにもテクニシャン過ぎたのか特段有名になったらしい。
しかしこの伝説話はハッピーエンドなんだよ。
年老いて「使えなくなった」存在は邪魔で要らないだけだから殺すのか?
実用性だけがこの世の価値なのか?
人間の世界とは結局は獣の世界と変わらないのか?
そんなフィロソフィックな内容なのである。
BBA伝説+月 ~BBAショック昇華伝~
とはいえ老後ライフがあまりにもアクティブすぎるバッドフライアウェイ模様だったためか、「名月の里」というブランドイメージと重なりあって昇華したお話が「コノハナサクヤ伝説」である。
醜い姫が美人の姫に嫉妬してさらに心まで醜いものとなるも、最終的には絶景「田毎の月」を観てアセンション志向となって高い次元へと突入して魂の進化を遂げた。
というそんな宇宙を感じさせるストーリーへと仕上がったみたい。美しいサクヤ姫にとってその醜かった姫は伯母さんだったので、その思い出を残すため「おばすて山」と命名したそうな。
けっきょく捨てたいらしいね。
どうあっても。
一番ダークな部分を処理しきれてないわけだけど。
・「姨捨山伝説 」千曲市観光協会
・「名月の里 おばすて」信州・戸倉上山田温泉 源泉掛け流しと貸切露天風呂で温泉三昧の宿
ホテル亀屋本店
『大和物語』、『更級日記』、『今昔物語集』、『更科紀行』
「お月見」打ち上げ豊作祝い
お月見というイベント。
マックの月見バーガーCMで秋の到来を知らされていたという人も多いのではないでしょうかそうでもないのでしょうか。
「まってたぞ秋ッ!!!!!」
とかなんとか。ねえ。
そんなに?
みたいな。ねえ。
月見バーガーを?
みたいな。
まあまあこちらもあの「お花見」と同じ理由で秋にやることねえからということで。そうしないと政治に関心がいっちゃってメンドイし。というところでありましょう。
しかし一番は収穫際の打ち上げパーティーの肴にされたといった所である。
収穫祭とはよく聞くが、お月見パーチーは特別な収穫祭である。なんてったって我らが瑞穂の国の主食であらせられる「米」が収穫されるパーチーなのだから。
「新米生誕祭」とさえ言えるのである。
日本においてはこの米の生産こそ国を挙げての一大事業なのである。つまりお月見は国家プロジェクトを成し遂げたことに対する打ち上げパーチーなのだ。
何かの仕事を仕上げたときのあの気持ちよさったらないよね。
あの余韻にひたるために生きていると言っても過言ではないやもしれない。
言っておくが、
ニートですらそう思うのだ。
どうだまいったかこの野郎がっ。
オレはニートだこのやろうグーグルめ認知しろっ。
月見団子 月に見立てる
あんなシンプルなおまんじゅうは最近ではなかなかお目にかかる機会もないわけである。
楽天にいけばものっそいヴァリエーション豊富なシェフたちのスペシャリテが拝めるこのご時世にこのシンプルさは逆にうまそう。そういうことない?
でも「雪見だいふく」で代用しよう。
おーもち♪もーちもち♪雪見だいふく♪
でさ。あれ好きなんだよね。
すすき 稲に見立てる
ホントは稲を使いたいが、
まだ一応収穫前ということで似た形状の「すすき」を使うのだとか。ということは「収穫前夜祭」なんだ。収穫祭だからもう収穫された後かと思いきや、
「もうここまでくればあとは収穫だけだねひゃっほう」
という先駆け的な「収穫前夜祭パーチー」だったお月見。
中秋の名月×十五夜 ~15日周期?~
月は年中みれるが、
「9月に月見イベントが発生するのは収穫祭の肴になるから」というお話しにしてきた。だから秋に見るお月さまは格別だよねってことで。「プロジェクト仕上げの気持ちで見上げるとさ」ってことで。
月が一番みごろなのは満月。
基本的には。明るいし。好みはあるけど。満月ということにしとこう。
そしてその満月になるまではだいたい15日周期で、ひと月の内で言えば15日あたりになる。
もともと月日は、月の満ち欠けに応じて数えていたから月の姿は生活に馴染みのあるもの。
まあ実際には微妙にずれていくので每年違う日にちに満月がやってくる。(ココらへんは未だ厳密な計算ができないところなのかな。暦のお話は「天地明察」でもやったけど。)
次の日の十六夜もだいたい綺麗らしいよ。
松尾芭蕉もそんなこと歌ってる。
そんで最終的に「3日も泊まっちゃった☆」とかツイートしてたしね。
月に関連するキャラ
うさぎ伝説
「月にはうさぎがいる」なんて良いますけどね。
月のクレーター部がどうやらそういう形に見えることからそんなことを言われる。海外ではカニとかが多いらしい。
もとはインドのお話で、
3匹(猿狐兎)の獣が山で遭難してるジイさんを発見。こりゃあ大変とばかりに猿は木の実を集め、狐は魚をとってジイさんに寄付したものの、兎だけは何も出来なかった。そうしたところ無類のおもてなし心に火がついたのか「ジブン悔しいっす!!!!」とばかりにその身を火にダイブさせて「兎の丸焼き」を提供したという。
うさぎの価値観のナゾしか残らない説話である。字のごとくすさまじいまでのサービス精神である。
ジイさんが何をしてくれたと言うんだ。
しかしその後、
このジイさんがうさぎを月へと昇らせたのだとか。
マジか。
・「月の兎」wiki」
かぐや姫
竹から産まれて月に帰った美女。
そんなレアリティ溢れるレディーとあって男達は我も我もと求婚に押し寄せたものの、様々に無理難題をふっかけて一通り弄んだ挙句に月へお帰りになされたやんちゃぶりであったとさ。
やだやだ
それにしてもいまいち「かぐや姫」のお話の性格が読み取れないんだけど、これはある種「子供に先立たれる老夫婦」に対するエールストーリーではないかね。
「ただこんな期待ない世界とはオサラバして月に帰っただけなんだよ」
みたいなかんじで。