あらすじ
江戸時代に入りたての4代将軍家綱の時代。「暦」の改暦のために七転八倒しながら常識をぶち変えた男の物語。いや男たちの物語である。
みどころ
「カレンダー替え」
カレンダーのあの日にちってだれが決めてんの?
なんてこと思ったことないだろうか。
ないね。
うん完全にない。
これはもうないでしょう。
太陽暦
日が昇って沈むことで「一日」となるけど、それは当然に、太陽と地球との関係によって決まる。太陽の位置と地球の位置によって明るくなったり暗くなったり暑くなったり寒くなったり。それで作られる暦が「太陽暦」という。月と地球との関係で作られるのを「太陰暦」という。
ロムルス歴
古代ローマの初代王ロムルスによってローマでは1年は10ヶ月とされた。もともとは古代エジプトや古代ギリシアなどからの流れで流用されたとみられるね。太陰暦。
ヌマ暦
古代ローマ2代目の王ヌマ・ポンピリウスによって後に改暦されて12ヶ月になった。だから英語で9月を表すセプテンバーは本来は7番目の月という意味を持つ。2月づつズレている。
ユリウス暦
のちにローマ帝国の青写真を描いたとされるユリウス・カエサルによって改暦され太陽暦となった。
グレゴリオ暦
さらに改暦されていく。
西暦
なんやキリスト教によってキリスト生誕を紀元とする聖なる暦が使われだした。
でも太陽と地球の関係をうまいこと計算しきれないのか何なのかはよくわからないが、
微妙なズレが生じるのだ。
そうすると
「8月に雪が降る」
なんてことにもなっちゃうので、
2月に4年に一度の閏年をいれて調整を図るというのが現在広がっている西暦の今のところの最終形なのかね。
最近世界滅亡の予言とか言って前史アメリカ大陸の「マヤ文明」が取り上げられていたけどその正確性の根拠になっていたのが、偉大なる西洋文明の天文学よりも正確だった「マヤの暦の正確さ」だったね。
それでとりあえずこれが今のところの正解。
「天地明察にございます。」
というところか。
このページはオレの感性がどのように刺激されたかを示しているので主観的なものでやっておるのだ。「どのように刺激されたか」またそれによって自分にどういった価値になるのかだけが重要なので絶対的な(以下略)
これは西洋のシステムで、
それなりには勉強したことはあるけど、
東洋のものはぜんぜん知らなかったね。
一日の習慣を決めるのに今の人間は時計を見て決めると思うんだけど、それの大本になっているのは当然カレンダーでしょう。
そういった規範がないと日々の活動が律せなくなってしまってもう何がなんだか、「いま何時何分何曜日で、だから今ボクはなにをやったら良いんだろう?」という混乱に陥ってしまうという事にもなる困ったことに。
だから暦はわりと大事だったんだよね。
規模があまりにもでかすぎて実感しづらいというだけでさ。今自分が立っている地面がものすごいどでかい地球そのものとは思えないように。
みどころ
「天地明察にございます。」
天と地の理に答えを出す。
という神をも恐れぬ大偉業に挑むというお話。主人公・渋川春海(安井算哲)は囲碁界の名門・安井家の跡取りでお城で囲碁の指南をしたりして過ごしている。
文化が発展する平和時代の偉人たち
同時代には、
囲碁の歴史上史上最強との呼び声高き「本因坊道策」
徳川幕府250年の太平に超大な貢献をしたであろう「保科正之」
水戸黄門で有名な「水戸光圀」が変なパワーキャラにされている時代
なんか「ぐうぬうううううう……!!!!」という唸り声にて自身の興奮を表現するというパワーキャラにされていた水戸黄門。
こういったね、
殺伐とした破壊と創造の連続である戦国の世が終わって、
そこで産まれた新しい物が「さあこれからはこういうものを育てるぞ」ってな具合に「文化物が飛躍する時代」に活躍した偉人達が綺羅星のごとく現れる時代背景も楽しめる要因だね。そして
「和算」なる日本独自の数学を編み出した「関孝和」
という天才に憧れ、また打ちひしがれることから全ては始まる。
挫折がつづくサクセス・ストーリー
有名な偉人や成功者が「最初の頃はぜんぜん売れなかった」みたいな話はとにかくウケる。共感される。自分も売れないから。支持される。自分も頑張ってるから。みたいなことでかな。
渋川春海は囲碁界に生まれながら数学に興味を持っていた。
しかしある時とんでもない奴が現れる。
その男の人智を超えた解答を前にして戦慄が走り、
自分も「この人に問題を出してみたい」とか思うのだ。
しかしそれがまったく恥ずかしい目に逢って挫折。
腹を切りたいほど落ち込む。
そんなことを繰り返し繰り返し、
ようやく、
かとおもいきや、
ようやくこの深い水の中から這い上がって息が吸えるとおもいきや、
またまた水中に引きずり込まれるという挫折。
でも最後にはうまいこと行くぞ( ̄ー ̄)bグッ!
和算数学とか神道とかなにやら日本文化学問のオンパレードみたいな題材だけどぜんぜんわかりやすくストーリーを魅せてくれるのでだれでも楽しめるね。
シゲキ
神秘の世界をおさめるひとたち。
実利の天文学
天文ってこうやっていわば実利的に?科学的に利用される時代がやってきた。精度の低い時期でもそれはあったわけだけど。星の位置をみて大航海時代がうまれて世界がつながったのもそうだし。
神秘の天文学
しかしそれでも大体は神秘的というか、ほら六星占術やらなにやらと神秘思想と絡めていろいろ占いとかやるじゃん。一般人が天文のことなにも知らないのをいいことに。
誰も知らないしわからないからある意味、
「都合のいい世界」
なわけだとおもう。
言ったもん勝ちみたいな。
小学生の「バリアー!」ぐらいの。
そんで「バリア突破パリーン!」とかくらいの。
なんでそんなことになるのか、どうすればそれができるのかなんて理由はどうでもいい感じな。「オレが言ったことに文句があるのか?」てきな。
ある意味やはり宗教的。
科学は絶対的な事実を”証明”しなくてはいけないからね。
客観的にみんなが認知できる事象を”証明”することで積み重なっていく。
「心で感じることが大切なんだ!」
というのもよく叫ばれるけど、それを踏まえても改めて、
「だれにでもわかるように”証明”する」
ってことはすんげえことだなあと思うようになってくるね最近。自分の中だけで信じていればそれでいいという訳にはいかないから。
んでそんな都合のいい世界は「なにを言ってもいいみたいな感じで」ちょっとルールが崩壊してくると困った事にもなるんではないか。
せっせせっせと政治をやってるのにどこかの教祖様の気まぐれな一言でパーになっちゃったりするし。或いはいきなり「竜王の覚醒は近い」とかのたまう春になると出てくるちょいとばかしお困りな頭の人なんかの言葉に恐れおののいて農業が手に付かないとか困ってしまうわけだ。
だからそんな”鬼門”をおさめる存在としてそれを扱う集団が作られた。
祭祀とか陰陽師。
なんかおもしろくない?これ。
なんでこんな人達がいるんだろうって思ったことあるじゃん。
ゲームや漫画なら魔法的なものが使えるから意味わかるけど、
この人たちって現実の世界にいたんだよ。
じゃあこの人たちってなにをしていたんだと思うよ。
「式神!!前鬼・後鬼!!」とか出ないじゃん。
出る人いたらごめんよ。
じゃあなにやってんのこの人たちってさ。
ということに対しての「わかりやすい1つの答え」がこの本にはあったように思えましたよワタクシはええ。
頭の困った人がいきなり「竜王の覚醒は近い」とかのたまっても、
「竜王は神ではない。それがなにを思い上がったのか。神は唯一無二だ。貴様がそれを知らないはずはないだろう?」
とかいえる存在。
「!?……きさま介入者か!?」
みたいな感じで続くのがベストとされる。
科学はそれこそその分野を証明するのにとんでもない時間がかかる。研究者たちの屍の死屍累々を越えていくことで継承され続ける壮大な系譜ロマン。
しかし神秘の世界は言ったもん勝ちの中2世界。
だれでもファンタジー小説がつくれる如く1代でも100年愛される世界観を作ることができる創造とセンスの世界。
だから手っ取り早くその分野を治めておくのに都合よかったんだなあとおもったのだ。今のアフリカでもやたらと危ない呪術師さまたちがご活躍しておられるようだけど、科学まみれの日本ではその存在の意味がわからないじゃん。「なんで居るのこんな奴らさっさと消えればいいのに」みたいな。でも占いや朝の星座占いを見る感じと同じなんだろうけどさ。
オレは誕生日が保険証と親から言われて使っていたものが異なっていたんで全然星座占いできなかったので信用したくてもできなかったよ。
一日の違いで星座変わっちゃうんだもんね。
「学問」は絶対的なことを証明し続ける行為ともいえる。
「宗教」はそれが出来ない自由な世界だけどそれなりにルール(矜持)がいる。
すなわち考え方次第という意味での「哲学」だ。
よく言われる「答えのない問」というもの。
「学校の問題みたいに答えなんかないんだよ!」みたいな。
けどそればかりでもなんかちゃっちいゴテゴテの道化になったハリボテの薄っぺらいファンタジーになってしまう。
でもそれに「学問」的な”証明”しつづけるリアルが重なりあうと、
ファンタジーとリアリティが合体するんだ。
なにをゆうてんねんキミは
「挫折の続くサクセス・ストーリー」
あと「挫折の続くサクセス・ストーリー」はやはり鉄板のおもしろさはある。けど自分は北方謙三の本でよく見る。というか基本的に人物小説をみるから主食と言っていい。
自分史上最高のサクセス・ストーリーは
『ハプスブルクの宝剣』
見よう( ̄ー ̄)bグッ!