ニートアカデミア(哲学) 無職長征一万光年旅記

【働けば済むとか言ったらコミュ障】ニートの税制や家ストレスや欲望にまつわるパラダイムシフトパラドックス。

2017年2月8日

低収入で人生を謳歌する.パラダイムシフトパラドックス?

 

「税金が払えたら、部屋が少し広くなる。」

 

多少なりとも収益があると無職ひきこもりニートライフもさらに気が楽になっていって、肩身の狭さが緩和されて、暮らしやすくなる。そんな「収入を得てしまったニート」のライフスタイルパラダイムシフトパラドックスのお時間です。

 

「低収入で人生が楽しめるならみんなやればいいじゃん」とはならない、

 

低収入ニートの悲哀とジレンマがそこにはある。

 

「働けば済む」とか言ったらコミュ障やで。

 

 

「税金だって少しは払えるはずなのになあ。」

低収入ニートの税金

「税金が払えたら、部屋が少し広くなる。」のに。

制度に関して「国が悪いとかお役人が悪い」だなんて人類が共同体を形成した頃から、責任者を責めたてる法則がある以上はよく行われるプレイであってアレなんですけれども。

「高い税率による国収があるから公共サービスが充実して、結果的にニートが活動しやすくなってる」なんていうことも言えるわけであるからして。

北欧は税金が高いがそれだけ公共サービスが充実してると話題であるからして。大学まで無料のところもあるのだからして。外国人でも無料というのだからもうよくわからないのであるのだからして。

 

「でも単純に、低収入でも税金を支払えるような仕組みなら、いいのに。」

 

とは思ったよ。収入を得てみてそう思った。

 

今の月収入が約1万円だから年金の1万6千円なんて払えんのやで。

 

これが「収入の4割でいいというなら払える」のに。※この収益額の場合はね。20万や200万や2000万のの4割とかいったら笑う額だからアレだけど

それ以上だと何も買えなくなって、出来ることの制限が増えてしまってアマゾンの商品も買えずにそれを使った記事も書けずに収益も発生しないということになって、

結局はさらに何もできなくなるし、税金は1円も払えず、

さらにはここから成長して収益増が成ればさらに税収も増える可能性をも持つというのに、

それを断ってしまうとは考え方が古くなり過ぎはしないか。

 

そもそもが人材救済策としてNEET(ニート)と名付けにも関わらず。

その人材の活用法がまったく実際に則さない「さあ、ただ労働しろ」では用をなさないのだ。

「それができるならニートになっとらん」という実態は知られないまま。

 

だからそうして、

家と自分自身と、

あるいは良い考えや影響を与えてくれる面白いコンテンツとに鼓舞されて、

ようやく少し立ち上がって収益を得たとしても、

 

無思慮な税制に潰されては人材救済も何もあったもんじゃないのだ。

 

とはいえ国の制度というのは早々かんたんに変わるものじゃなし、

文句など実際はあまりないのである。

 

自分が運営経営する側に立てばみんなその難しさはわかるのであるからして。

だから本来的な文句というのは実際にはないのである。

日本は特に多様で文化に鷹揚な気風をもっているから、さらにニートでも住みやすいものだしね。

 

ただ「税金もこの低収入にあわせた利率だったら自分でも払えるんだけどなあ」って思いは、この「底収入ニート」になったことで生まれたね。

 

もともと公共サービスや仕組みには感謝はしているのだから。

ただ「普通の労働はできないからやらさないでくれ」というだけで。

 

勿論、

自分でどうにかできる問題を世のせいにしたいわけではないのだ。

でも、

そうやって全て人のせいにできるほど面の皮が厚かったらひきこもりニートなんてならないわけである。

ただこうして実際に行動してみるとやっぱり、そんな「自分のせい主義」だけでは「かなわんなあ」だなんて言う「実際的な生活を生きる人間的な気持ち」も湧いてくるものだったよ。

 

だんだんと「人間」に近づきつつあるニートなのか。これは。この種は。

腹が減った頭が痛い政治が悪い」な税金に文句が言えるのは生きてる証やね。

 

 

「家ストレス。だが離れてもストレスはどこにでもある。」

低収入ニートの我が家論

「実家にいれば節約」というものはニートに限らず普遍的な考えである。だって家賃が要らないのだし。しかし一般的には以下のためにそういう状態は忌避される。

仕事が近くにないから。

実家の近くか、公共交通機関が利用できる適当な移動時間の範囲内に自分の仕事先がなければ実家住まいは務まらないのである。ネットビジネスのように場所を問わないような働き方は未だ主流ではないから。

家族との関係性。

そして一番の理由といえばこれではないかという家族との人間関係である。いくら親子兄弟の家族とはいえ、「考えの相違」や「言い合い」やなにかで「こんなところは出てってやる」となるのが青春の1ページであることは珍しくないだろう。「親がうるさい。」「自分の自由が欲しい。」ということで一人暮らしを始める若者の行動はむしろ健全とされるのだ。それは結果として。

家の経済的依存。

あるいはそういったことから、経済的に実家に依存してしまうと、「いざという時に自分の意志を通せない」といったことで、やはり「自分自身の力を持とうとするが故」に家を出て働くようになる。

 

とはいえ経済的依存というものは、

たとえ家を離れたとしても、

会社などによっても生じる現象ではある。

 

「そこでしか働けないようなら」結局そこからは逃げられない様になってしまうのだから。

そうであれば税金も払えないし、家賃も払えないし、

そうであればまた住所不定となってさらに働きづらくなっていく。

だから不当に権利を侵害されてもなかなか移動できない。

 

どうせ一概には言えないというのなら「家を出るのが万能」だなどとは言えないのではないだろうか。

 

よほど酷い家庭環境ならまだしも、家族間のコミュニケーションストレスも仕事間のコミュニケーションストレスも、「それがある」ということでは一緒である。

 

「欲望欲求。だが“コスパの良い生きがい”しか無いならそれほど問題じゃない。」

低収入ニートの人生目標

そして人がおよそ「低収入ではいられない」原因はこの欲望ではないか。

もっと買いたい!

もっと食べたい!

もっと旅行したい!

もっと欲しい!

もっともっと欲しい!

という欲求があるからこそ、高収入を得て、高価な品や経験を買おうとするわけである。

逆に言うと、

このような欲求が低く、およそ税制などの対応などが為され、そしてコスパの良い人生目標を持つ限りにおいて、あるいはそういう人種においては、「実家にいれば低収入でも人生を楽しめる」とはなるだろう。

ベーシックインカム論の争点が1つ「それでも働くか?」

昨今沸騰している「最低生活費支給制度(ベーシックインカム)」支持論では「オレたちはそれだけじゃ満足しないからさらに収入を得ようとする(あるいはやりたいことをしてそれを収益化してさらにそれを使って発展させて世界経済を回す)」とされる。

つまり欲求がある人間はやはり働くし収益源を増やす。

だからこそ人生は楽しい。金がなきゃ大したこともできないし。だからあくまで求め続けるよという具合に。

だが「欲求の対象」は人それぞれなところがある。

それらがすべて高価なわけではない。「競争力激化のために値は落ちたが良品」のようなコンテンツを消費して人生を楽しむことは出来るし、それ自体でそもそも満足ができるという場合もある。というより、

釣り合うか否か。

「収入とそれにかかる労役と、そして得られるリターン」とを考えて「それくらいでいい」となったとしてもそれほどおかしなことではないのである。

 

よってただ単に「節約した生活者ではない」のが低収入ニートなのだと見て良い。

 

実家住まいでかからない家賃。

自分の収入に最適化された無理のない税制。※未定の制度ではあるけれど

そして家族と共同で出費する、節約やゴミ出しや掃除などの役割分担をおこなった末に算出される食費や光熱費などの諸生活費。

 

これらが「底収入」で賄えるのならば、

そうであるならば、

 

つまり、

「自分たちの欲求の程度に合った収入があれば、それ以上の労苦を背負うのは割に合わない」

というニーズにマッチさせることがしやすいものが「底収入ニート」なのかもしれない。

 

 

「正社員労働」でなくとも「人生を謳歌できるように」なりたい。

 

正社員労働では「時間と人権」が人質にとられる。

 

実際に収入を得ようとなると、今現在最も多く基本的な「労働」はそれほど時間的な融通は利かない。バイトや日雇い労働であれば時間的融通は効きやすいが、幾分収入が不安定で利率も悪く、

 

「一人立ちして自分の生活費も税金も全て賄って趣味などの生きがいも謳歌する」というライフスタイルは困難である。

 

現在の税制ではやはり働いていようとなかろうとそれなりの額を請求されるし(1人世帯なら減額控除は受けられるだろうが)、なににせよアルバイトや日雇い労働という自由度の高い収入の得方はリスキーであり、

 

結局は身動きの取りづらい「正社員労働」をするしか「生きて楽しむことがし辛い」のではないか。

 

【結果】収益化された新種の「底収入ニート」はこうして人生を楽しむ。

「実家住まいでかからない家賃。」

「自分の収入に最適化された無理のない税制。」※未定の制度ではあるけれど

「そして家族と共同で出費する、節約やゴミ出しや掃除などの役割分担をおこなった末に算出される食費や光熱費などの諸生活費。」

「実家におけるコミュストレスの工夫」

そして、

「人生における自分のやりたいことをやって、死ぬ。」

という基本的テーマ。

ここまでは「よく生きるニート」の姿。

 

そして重要なのが、

「好きなことを微収益化したか、時間重視で融通の効くバイトなどの微収入」

という少しばかりの活動費&家活費でさらに活動しやすくなったニート。

 

そうであるのが底収入な新種のニートであると思われる。

 

ただ実際は世帯が同じであるから、

「じゃあお家の人に払ってもらってね」とばかりに税金に関して減額控除は受けられないので、実家による出資で賄われる。

為に、

家に対して経済的に依存する度合いは強いものである。

 

【さらに結論】税金が払えたら、家にもいやすくなるのに。底から成長しやすくなるのに。

ただでさえニートスタイルというものは肩身が狭くなる。

これこそがニートが持つ最大級の悩みと言っても過言ではないかもしれないのだ。

 

だってそうすると人は行動力が低下してしまう。

 

自信がないと人は行動できないのだ。

欲望と恐怖の「てこ原理」も人を動かすけれど、

 

その力を中心で持って支えるのは「自信」という「自尊心」なのだ。

 

だから少しでも「家に負担してもらっている」と思うモノを自分でやれるほうが、「実家住まい」という低収入ニート(純正ニートもそうだが)は、その活動力を確保しやすいのだ。

 

参考「ニートの自信。人生最強攻略法たるエネルギーの結晶を手にいれたならばなんかもうすごい。」

 

そしてただでさえそうなのに、

 

家に引きこもるという回復や退避のための抵抗すら、ときにはその肩身の狭さゆえに、ストレスを貯める要因となってそれを欝的に滞留させてネガティブスパイラルさせてしまうのだ。

 

無職引きこもりニートが結果として悲惨な末路をたどるのはそういった「気分」からであることが本因であると思う。

 

気分次第で世の景気が変わるように、

人もまた変わるはずだ。

 

良い様に捉えて、

いいように過ごせれば、

やはりイイようにその環境を利用できると、

 

欝も自殺未遂もひきこもりも不登校も吃音も無職も無収入もニートも経験している私は思うものである。

 

「ニートは卑屈にならず、だが偉そうにもせず、しかし堂々と快活自然に居座る。」

 

が真髄だと考える我々とても、

やはり「できるだけそうしやすくなる状態」は確保するにしくはないと思うのだから。

 

それが新種たる低収入ニートのスタイルを希望にさせるのだ。

 

ニートや。

 

 

→次回「種を分けるカテゴライズの意味。ニートの問題とは何か?」

 

←前回「【Newニート論誕生】低収入で人生を謳歌するライフスタイル。」

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

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