トップバー広告(PC)

不登校ブログ 無職長征一万光年旅記

この世の全てに意味があるのなら、オレは何のために生まれたのか。【死がやってくるその時まで無職ニートなボクの死生観をすべて話そう(其の三)】

2017年1月17日

生まれた意味はいらないタイガー

およそ「この世のすべてに意味があるのならば」と、

いきなり問うてみよう。

 

いや、というか、

誰しもそんな可愛い考えを何処かで持っているのではなかろうか。

これだけ科学漬けの現代社会に生きていても、

やはりどこか宗教的な考えをさ。

 

 

意味のないことなんてあるのだろうか?

逆に。同時にそんなことも思う。まああるよね。ある。というか意味があるとかないとか言うよりも、

 

「それを意味と捉えるかどうか」によるという考え方のほうが、

 

この科学漬けの現代社会では理解しやすいし、また、特別な知識を必要としない哲学的な世界においても納得しやすいよね。

 

ただそれでもなんにでも意味があるようには思われるものだ。

 

日が昇っては沈んで

波が寄せては返して

何度も何度も繰り返し愛を叫ぶように

 

意味がある。

アクアタイムズ的な意味がある。

 

でも、いや、だから

 

たしかに意味が無いこともあるだろう。

 

そう捉える限りにおいて意味があるのだから、

そう捉えなければやはり意味はないのだから。

 

何のために生まれたのか?

なんて逆に今となってはフレッシュな問いじゃない?

聞く?

え、聞くこの話?

逆に最後まで聞く気になるかな。

Uターンしといたほうがいいかもですけれどね。

ルーク・フォン・ファブレじゃないんだからね。

 

 

そんなことに意味はない。

 

少なくとも私にとっては意味なんかないし、あってもらってもしょうがない。今現在自分自身にそれがなければ別かもしれないけれど、それがある場合は足かせにしかならないからね。

 

いわゆる

「生まれた意味はいらない。」

のだから。

 

今、生きてる意味は知ってる。

 

逆に言えば死ねない理由も知ってるし、死なない理由も知ってる。生きれてる理由も知っている。

 

だからそれはなんの問題もない。

自分自身が決めることだから。

 

しかし「この世のすべてに意味があるとしたら」なんて宗教的な、

なんだろう、

感傷的な?

神がかり的な?

そういう運命めいた力の存在を、

それでも不意にふっと考えてしまうときもある。

 

それが追い風ならなんとなく気分も上がったり。

めざましテレビの運勢占いみたいな。

 

なんの意味もないこともある。

 

そして、この世界はなんでも起きる。

 

救いや何かなんて所詮は宗教である。

必ず、自然がそうであるように、

 

納まるべきところがあって、

活きるべき場所があって、

合う場所があって、

 

とは限らない。

だろう。

実際にはやはりどうかはしれないが、

やはり、「だろう」とだけは思える。

この世界は科学だから。

 

科学の世界は科学的に起きうる物事ならなんだって起きる。

 

そこに慈悲や、

だれかの願いや、

 

きっと活躍できる場所があるとか、

活きるべき場所があるとか、

 

そんな感情など介さない、

厳然たる化学的現象があるだけだ。

だから人はいつも何か都合の良いものを信じて宗教化してきたわけだしさ。

 

だから起きるんだよ。

 

この世界に居場所のない人間が生まれてくることだって。

 

どうしたって有ることだ。

あり得るし在りうる。

歴史を学ぶと否が応でも理解せざるを得ない。

起きる出来事に意味なんかない。

人があとから意味づけすることのほうが多く、と言うかそれが面白いのだけど。

 

羽がないなら地上へ

強くもなく速くも駆けれないのなら海へ

エラ呼吸もできないならどこへ

 

活きるべき場所も、

生きるべき場所も、

 

もし、

ないのだとしたら、

 

そしてそういったことが起きるのだとしたら、

 

いやそれは起きるのだ。

 

そんなことはいつだって思うときはあるんだよ。

 

それなら未練なんてないから別にいっか。

 

って思えるけれど。

 

やれるだけのことを考えて、やれるだけの中で、やれるだけの事をして、やれるだけやった以上、

できることなど何もないし、

自分の人生に自分がしてやれるのはそれだけなのだ。

 

それでダメならそれまでのことなんだよ。

 

そして「そういうことが起き得るのなら」、

やはり「それまでのこと」というだけで。

 

何も特別なことなんてなく、

ただそれは無慈悲に、

 

しかし何者の采も受けずに、

あるいはそれは等しく平等に、

 

やってくる。

 

だからいいんじゃあないか。

 

だからこそ意図的に世界にいじめられるわけじゃない。

 

「天にまします全能な権力者たる神的な存在」に、

「気に入られることをしなければ」、

「よく生きさせてもらえない」だなんてことにはならないのだから。

 

意図が働いたら気に入られなければ世界にいじめられるだけだからね。

 

つまり自分の考え方次第ってことなわけ。

 

好きなんだよね。

 

「ないなら捜すし、それでもないなら創るし、それでダメなら未練はない。」

 

って生き方が好きなんだよね。

 

だからそれでいいんだって思えるんだけどね。

それで生きて、

 

「後悔のしようがどこにあるのか」って。

 

いつ果てるともしれない人生の中で、

セーブ&ロードのない一発勝負の人生の中で、

たった一度きりの自分の人生の中で、

 

「こういう生き方をしたいっ」

 

って生きて、失敗したから「ああ~別のにしとけばよかった~」なんて。

競馬や何かならそれも一興だし、愉快な人生の一幕だけれどもさ、

でも「好きなもの」ってそんなんじゃないと思うんだけどね。

 

だから結局はそれでいいんだけどね。

 

表面上を撫でるだけのような述懐ポエムでしたね。

スポンサーリンク/記事直下型2連装無職砲

ニートブログの下

 

 

フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

-不登校ブログ, 無職長征一万光年旅記
-,