ニートブログむらくもの野望

自殺帰還者がその後をニートで生きたひきこもり無職のお話日記的『やれたらやる』ブログ。その選択肢はもう知っているんだ。 その「なにもしない」という選択肢の結果は。 もちろん「なにも起きない」だった。

【やることない体験記】”最初のシゲキ”を受けてきた自分の体験記。

      2017/02/26

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さあこのブログ。

とりあえず何やってるかわからないこのブログ。

俺もわからない。

元々「自分だけの価値」を実現するための一つとしてプレイしてみたこのサイト。

だから自分が珍しく強い気持ちを持った「ゲーム」のサイトにして持論を主張とかしてみた。

 

誰も興味ないだろうに。

 

だが最早それさえどうでもいい。モンハン餓狼伝を書き終えたオレはもうテッテー的に自分が面白いと思うと思うことをする。この感性がダメだと言うのならそれでも良いことだ。

 

その感性と一緒に奈落の底までランデヴーしてやる。

 

まあ雰囲気はかなり真剣な様で遊びの様で、でもこんなのそんなに違いはないしまあいいか。元々、自分がこの「ゲーム」というものに強い思いを持ったのはRPGのゲームがつまらなかったからである。だからそこから強い感情が生まれて、「もっとこうすればいいのに!!!!!!!!!!!!!!!」 と思った。

 

そうしたらそれを実現させたくなった。
他にやることもないし。

 

企画を考えて送ったりして無視されていた。それはまーどーでもいいことである。とりあえずは。もっと重要な事は ココである。

「刺激(シゲキ)」

 

目的と絶望の一つについて

自分は2年くらいほんとに何もしていない頃があった。

何もしていないというのは仕事をしていないとかじゃなく、

家でもほぼ何もしていない状態ということである。

 

ゲームもやらない。
まあやっても同じゲーム。
知ってるゲーム。
知ってる漫画。

 

やること無いからとにかく外で運動ばかりしていた。

そうしないと夕方とかに騒ぎ出さんばかりにイラつくからである。

(エネルギーはあったのかもしれない?)

というか実際吠えていたw

無意味に。

 

(そんなに怖くない感じだよ(*ノω・*)テヘ)

 

外で5時間とか運動していた。

 

変にネテロ会長の真似とかで上半身ハダカでブリザードの中走ったり正拳突きとかしていた。

そしてやっぱり吠えていた。

 

(コレは気持ちいい方のやつ)

 

やること無いから「戦争論」とかの本も書き写したりしていた。

戦争の勉強をしていた。

やることがなさすぎた。

 

とにかくこの時は時間的に自由になった時だった。

 

学校、仕事、生まれてから何かに規範され、

”なにかに添って”やってきた。

そして全てイヤイヤやっていた。

もう動けなくなってしまったので動くのをやめた。

時間は自由になった。

 

18の時だった。

 

自分のこれからを考え始めた。

いろいろやった。

いや”やろうとした” でもできなかった。

まだ若いからとあまり考えなかった。

やりたいことはなかった。

特に。

ある時に気づく。

 

「目的の価値」

 

目的

それはこの期に及んでお笑いな事にゲームのことであった。

ゲームには目的がある。

その時々で刺激され、

「ああしたいこうしたいそうしよう」のように。

だから目的が生まれる。

明日はアレを手に入れるか…。

 

そんなことを考えて寝る。
起きるとすぐそれを思い出し、
日課の筋トレなどを終えたらプレイする。

 

とりあえずはそれでよかった。

ようやく自由になったから。

 

それが「目的」であった。

 

そのゲームが終われば目的はなくなる。

ゲームの最中でも無くなったり生まれたりする。

続編がアレばやる目的が生まれる。

 

不思議と目的の、有る、無し、を短期間で繰り返していた。

 

そうするとやはり思う。

目的の価値のことを。

 

目的があると楽しい。

 

頭が活性化してよく動く。

考える。

待ってることなんて無いから、

 

「ああなればいいのに」とか「こうなればいいのに「いつかこんなことやあんなことが起こるかもしれない」 と期待して疲れることもない。

 

能動的に、自分から動いていける。

その時間は退屈しない。

そしてゲームは大体目標達成できるから。

リスクもないので行動しやすいから。

たかがゲームである。

たかがゲームのことである。

電波上のこと。

空想上のこと。

デジタル上のこと。

嘘のこと。

生産的なこと。

消費的なこと。

人間的に全く意味のないもの。

リスクを負わないから成長もしない価値もないカンタン過ぎるモノ。

なんでもいい。

それらのことは。

別に。

それは事実だろう。

体。

 

だが自分はそれが楽しかった。

 

楽しかったのである。

自分は目的に向かって能動的であることが気持ちよかった。

 

ココでは、 コレが重要な事だが、

 

ゲームが、ではない。

 

能動的に目的に向かって行くことが楽しかったのである。

 

 

絶望

この時はもうゲーム自体に興味があまりなかった。

そう、所詮ゲームだ。

丁度そう思ってた時期だったから。

自分はゲームが好きだった。

特に幼少期からRPGを好んでいた。

何故か。

簡単にいえば強い勇者のようなものになれるごっこ遊びのハイクオリティ版のように楽しんでいたのだろう。

だがそれは周りの友達も同様であった。

子どもとは大体そうである。

好奇心が強い。

まだ知らないシゲキが多いから何でも好む。

大体授業中でも友達とじゃれるか ゲームの事を考えていたし、

宅時もそうだった。

 

 

やっと学校から解放されても、

仕事をする。

仕事をし終えたあとは趣味のゲーム。

その繰り返し。

それしか知らないから。

 

 

明日が休みの日は深夜までファンタをちびちび飲みながらゲームをするのが幸せだったかもしれない。

そーゆー何かドラマとかで観たりよく聞く中年サラリーマンの様な生活をもうしていた。

 

だがそれも長くは続かない。
その状況にも飽きた。
ゲームのシゲキにも飽きたのである。

 

所詮ゲーム。

この時自分の価値観を大きく叩きつけ大きく揺さぶるモノと出会いさらに「ゲームなんて」と思っていく。

と言うかこの時生まれて初めて「絶望」した。

 

「生きる意味」についてはもう考えていた。
その後に来たのが「絶望」

 

それからは何にも興味が無くなる。

何にもである。

鬱というやつかもしれない。

仕事をしてても常に「なんでこんなことしてんだろう。」としか浮かばない。

そして絶望を受け容れた。

 

それは多分どうにもできないものだった。

 

(人から見ればたいしたことはないだろう事)

そういうものなのだと。

”前向きに考えた”

そしてココで終わってもいいと素直に思えた。

そんなに悪くなかったと、本気で思った。

むしろ楽しかった。

もう楽だと。

心が軽くなったし、

この時の気持ちは今考えても別に悪くない。

「この時の判断」であるし、

この時そうであればそれはそれで良いだろう。

 

だから働くのをやめた。そしたら自由になった。

 

でもそんな状態を続けられないことは承知なので、

 

終わる準備をした。

 

しかしもうそんな気持ちでゲームをやると不思議と少し面白く感じるようになる。

ゲームに期待するものすら無くなったためにハードルが下がったのかもしれない(笑)

 

行動

「そーいえばモンスターハンター2が出るからそれまではやるか」と思った。

RPGと違ってこの手のゲームはまだ面白かった。

それは2006年2月位の事だったと思う。

そしたら今度は幻想水滸伝5が出たのだ。

正直あまり興味はもうなかった。

 

もう物語に興味がなかった。

だって俺のはもう終わるから。

 

しかし兄がやってるのを見るとやりたくなった。

 

寿命が伸びた。

ふと、

生きる気がないのに生きられるこの日本は不思議だと思い始めた。

 

なんにせよ何故か活性化してきた。

次は幻想水滸伝を全てやりなおしたくなってきた。

これはただ暇だからというのではなく、

人物や物事の関連性に興味が湧いたからである。

自分の目的に能動的に向かっていくプレイだった。

 

アニメを妹に普及したりもした。

漫画を何故か共有しようとしたのだろうし、

自分の唯一知っている 「その世界」を、 誰かと共有することでその世界が実感できたのかもしれない。

そーして ブリーチやナルトやワンピースもろもろのマンガアニメをなぜか薦めていた。

少女漫画ばっかり読んでいる奴に、

これだけのカッコイイ奴らが居るんだぞ、

そんなチャラチャラした男どもだけじゃないぞ、

的に教えてやりたかったというだけの事だった。

 

するとどうだろう、

 

あんな漫画をさらにアニメで、映像で、音声で観ていると変に「気」が湧いてくるのだ。 こんなどうしようもない状況下で、あろうことか、友情・努力・勝利がテーマのものをである。

 

しかし、

 

「オレにどうしろっていうんだ」

目的はない。

 

それは事実。

死神にはなれない。

忍者にもなれない。

海賊にもなれない。

(なろうと思えればなれるが、直接的に同じものではない考え)

だからどんなにシゲキを受けようと目的にはならない。

しかし変に気だけは湧いてくるのだ。

 

頑張れる場所と理由がなかった。

 

多分この時はそういうことだったのだと思う。

オレは何かを頑張りたくなったんだ。

 

 

オレは走った。走りこんだ。

 

 

がむしゃらに頑張った。

冬は上着など着ずに外で走っていたし、雨の日も風の日も毎日毎日外に出て運動した。

膝が変になった。

それでも死ぬほど落ち込みながら運動量を減らしても走った。

「もう走れないのかっ」とか言いながら。

※半年して膝は治った。

夏は何も飲まずに4時間を過ごしたあと、

いつもの運動を4時間し、 (ここまで汗をかくと口に水分が全くない)

何も飲まずに風呂に入り、

やはりいつもの行程を踏んだ後、 (風呂に入る時も制限を設けてルールを敷いた)

その後にも足の冷却ケアとかをした後にようやく水分補給をしたりした。

 

このとき触る「水」はなにか聖なるものに思えた。

 

ホントーに「水」の価値を祝った。

「水」を頭からぶっかけて浴びているイメージを楽しめるほどに。

 

肉も断った。結果コレは7年位続いた。

 

正確には05年11月から12年5月くらいまで私はベジタリアンだった。

全て植物性のものしか食べなかった。

食べられるだけ有りがたかった。

素材の味がよく分かるようになった。

薄味が好きになった。

 

とにかく「気」だけはなぜか有り余っていた。

 

だが何も生産的には使われていないのがよく分かる。

それはそうだ、そういう目的がないのだから。

目的は無いのにやる気だけはある。

意味不明のテンションに見舞われていた。

ただこのスタイルを続けると本当に心の底から思うことがある。

 

 

感謝である。

 

 

別にイイコトいう気はない。

ただ事実である。

人に自慢できる状況ではないし、

誰トモ合う気など無い。

精神的にも追い込まれ、

その上で体まで追いこむと、

 

もうそれに対して効果のあることはすべて心から感謝するようになる。

 

正確に言えば「価値を感じられる」となるか。

誰かにというより、

その存在にということである。

 

ともあれ、「何かを自分に示したかった」のだ。

 

もしくは頑張りたかったのかもしれない。

兄にはMだと言われる。(Sだけどね※責め好き、責められるの嫌い)

確かに自分は完璧主義で責任感が強く理想が高い性格である。

元々は。

だから些細なことも気になり、そうなったら止まらない。

潔癖症でもあった。

だから変にこだわる。

だからMだとも言える。

 

これだけ頑張っても何にもならない世界は地獄だと思った。
勝手に。

 

だからもっとタフにならないとダメだと思った。

戦争の勉強をすればそれはよく分かる。

これだけのイカレタ状況があるのだと痛感した。

潔癖症ではいられなくなった。

だって戦争になったら人混みの中にいるのは当然だから。

 

そんなことばかりを考えていた。

 

なんにせよ「その頑張り」は無理があった。

続けて行けるものではない。

正直キツイのである。

目的など無いから。

達成するとか、

手に入れるとかそーゆー物は一切ない。

ただキツイだけだ。

まあそれが目的だったのだが。

自分は頑張れる、キツイこともやれる時はやれる、

みたいなことを自分に対して示したかったんだと思う。

 

てかそう。

真冬の早朝にいきなり風呂場で水をかぶるとか ロシアのコサック将軍のような事もやったりとかしてたのはその為だ。

※これやると必ず風邪引く。100%の率で。

これは自傷行為のように、

人様に注目していただきたいがためにした行為ではない。※注・自傷行為とは本来そういったことではないらしい

最早そんなことには興味はない。

 

 

自分との、理想との戦いであった。

 

 

イメージで「これクリアしたらああなる」とか人参ぶら下げて走り続けて、

そのイメージだけでやって来れたのもそのためなのである。

だがそれはひどく疲れる。

その戦いは終わった。

燃え尽き症候群になった。

何も成していないというのに。

勝手に1人の若者がイメージで猛練習の末に力尽きようとしていた。

それもまた良かった。

別に。

目的など無いのだから。

 

 

出会い

春になったら旅にでようと思った。

帰らないつもりだった。

どこかで野垂れ死ぬだろうと思った。

何かやりたいなら何かやるだろうから、

何もなければ勝手に死ぬだろうと。

かなりワイルド過ぎる考えだった。

もはや豪傑だった。

考えだけ豪傑だった。

 

意外と楽しみになっていた。

 

春の陽気に誘われて行ったショップで何気なく「スターオーシャン3」を買った。

本当に何気なく。

このタイトルは名作だし、

もしかしたら面白いかもと。

 

文句ばかりが口に出た。

 

感謝とかしなかった。ワロス。

でも新鮮味があった。

先がわからないからだ。

すると変に上がったテンションと、

自分を追い込んだ気概で 「もっと色々なことをしてみたい」と思うようになった。

そうすると途端に後悔した。

 

 

何故今までやって来なかったんだろう。
もう明日には死ぬっていうのに。

 

 

もっといろんな事すればよかったのに。

そのシゲキと、 自分から動いていく、 目的に向かって動いていく面白さ という事がココで合致してくる。

あの自分シゴキも自分で望んでしたことだ。

自分で目的を果たすためにしたこと。

進んでいったこと。

 

オレはまた寿命を伸ばした。

ホントに都合良く出来ていた。

3ヶ月。

 

 

終わり方(コレが私の”エンドウォーズ”)

その間オレはまた働き、

そしてゲームを漁り、

本を読んだ。

睡眠時間は4時間と15分。

ほぼ5分の隙もなくスケジュールは埋まっていた。

 

は元々何かを知ることができる最良のモノである。

 

たぶんね。

オレは何も知らない、

何も出来ないことに焦っていた。

今でもそうである。

それはこの頃から強く出始めた感情である。

なんの技術もモタナイ。(実際はそうではないのだが)

それがとにかく本も漁らせた。

戦争と歴史のものだった。

それが知りたいことだからだ。

それがオレにとっての勉強である。

今更だが 元々自分は かなり落ち着きが無い。

ガキ大将のようなやつである。

本など読むべくもない。

それが今は当然のように読む。

自分でも不思議だった。

感謝とか、そーゆー感情を持つことも意外だった。

 

今、少年期を思うと死にたくなるほど恥ずかしい。

 

何も出来ない環境が自分を追い込み 新しいモノにした。

そうではないかもしれないが、

そう思うと成長できるかもしれないと思えた。

何のためにかは知らないが。

目的は無いから。

とにかく眠たい気持ちを顔をひっぱたきながらゲームをやり続けた。

とにかくやり切ることに全力だった。

そしてそれが楽しかった。

 

はじめは吐きそうになった。

不安感で。

2,3年昼間の外を見ていなかった。

それだけで全く世界が違うように見えた。

 

途端に、恐怖が襲ってきた。

どう言えばいいか、 浦島太郎のような気分だ。

いざ外に出てみたらいきなり年をとっていたのに気づいたという感じである。

 

20歳だった。

21歳になる年。

そんなものにさえビビっていた。

別に何も目標がないのだから何も恐れることは無さそうだが、
実際は何か出来ることがどんどん無くなっている気がして恐いのだ。

コレは朝晩、四六時中続いた。

 

仕事もそうで、2,3年前やっていたものでも間が開くと生活スタイルが合わなくなってくるので 最初のうちはキツかった。

気持ち悪くなったし、

ため息しか出なかった。

あんなに溜息出るか?ってくらいでた。

カレーを食い終わるまで20回位でた。

 

最初は自分のこの感情を自分で観察していられた、

すこしは新鮮味のある気持ちだったからだ、

漫画とかで出てくるあの感情か、と。

しかしそれが毎夜毎夜つづくとキツくなってくるのもある。

ただそれでも「このこと」は自分でやりたくてやってることなのでやれた。

とにかくキツければ別にやめてもいいと自分に言ってやった。

だんだんと慣れた。

まあそんなものだろう。

 

特にハイになれたのは日課の運動だ。(まだ続けている※今も)

 

とにかく運動しているとなんでもやれる気になってくる。

ランナーズハイのようだ。よく知らんけど。

 

ゲームはびっくりするほどつまらなかった。

 

だから「自分ならこうするのに」という事を考える遊び方を見つけた。

そんな偉そうな立場を見つけて遊んでいた。

頭は活性化した。

でもそれだけじゃアレなので、 確実に面白いだろうなと思う好みのゲームも挟んだりした。

戦略的だった。

 

 

そうして時が過ぎた。

 

 

 

最後の日に最終儀式(気持ちを高める意味でのルーティーン的な)があった。

それはいつものランニングの最後400メートルほどを全力ダッシュ するというものである。

 

またやっていた。

こんなことを。

コレが仕上げなのだそうだ。

400メートルというのに特別意味は無い。

ただ、いい感じの直線があるからだ。

それくらいの。

コレやったことある人はわかると思うけれど、

キツイというより恐いのだ。

最早プレッシャーで。

 

「キツイだろうな。でもやらないと。いや、やめるか?」

 

という流れが繰り返されるのだ。

別にやめてもいいのだ、嫌なら。

それを決めるのは自分だから。

やらされてるわけではない。

それだけのことなのだ。

ただ、

この行事は最早自分の人生の集大成になるかもしれない。

最後になるかもしれない。

いや、なるだろう。

そーゆー予定なのだし。

 

そしてココに至るまでの自分へ影響を与えたモノのことや、

自分の気持などを考えるととてもいい加減には出来ないのである。

だからプレッシャーなのである。

 

しかしそれは社会から押し付けられたものではなく、

つまり、失敗したら恥ずかしい、こう思われたくないから、ああ言われたくないから とかそういう事からのプレッシャーではない。

自分が決めたことに対する挑戦である。

 

それは自分が心から意味のある事だと思える事なのである。

 

良くはわからないけど。違うのである。

それでもプレッシャーがかかる時こう自分に言うのである。

 

もしダメでも、明日やればイイ。

 

コレで心が軽くなるのと同時に、何故か、

いや、やってやるよ。

という気になってくる。

反発作用というやつらしいが。

どちらにしろ自分は自分にやさしくできるのだ。

 

そしてそうであれば頑張ったり、

休んだりできるようなのだ。

それが重要らしい

頑張るには。

よく解らないけど。

 

しかし、

ランニングまでやって、

それからやるかどうか決めるという選択肢は消した。

 

それは誇りである。

 

こんな社会的には何にもできない自分の、

それでも自分の決めたことはやり抜いた誇りである。

 

やることは決めた。

 

あとは失敗してもいいからやろうと。

走りきれなかったらまた別でやればいい。

と。

 

全力疾走を長時間すると体が動かなくなる。

キツイのではなく。

動かないのだ。

キツイはキツイのだが。

足が上がらない、

腕が振れない、

足に力が入らないのでとにかく転びそうになるし、

意識しなければまったく”全力疾走”にならない。

 

400メートルの直線ではないので、1回曲がる。

 

非常に危険で法的にもアウトだろうが、

一切止まらない。

右見て左見てとかしない。

そのまま出せるだけスピード出して曲がる。

 

(そんなに人通りはないのだが)

 

しかし150メートル位でかなりキツくなってきた。

 

でもその時の自分はしっかりと、

足裏に、腿に力を入れなおして”全力疾走”を続けたのを今でもハッキリ覚えている。

ハッキリとである。

 

ただこなすだけのことではないから。

これはそうしなくてはダメなことだから。

大したことではないがこんなことが多少の自信になることもある。

 

本来は自分の罰に150メートルでやっていたものを伸ばしたのだから未知の距離であった。

それもランニングの後。

ココでは他の人のことは関係がない。

自分のことなのだから。

 

さすがに最後の方はどうしたってスピードがガタ落ちであったが全力で体を動かしていた。

肺はもうどうなっていたのかわからない。

キツかったとかそういうところではなくとにかく「勝った!」とか思った記憶しかない。

 

あとは色々なことが走馬灯のように駆け巡ったね。

どこで駆け巡っとんねんとね。

最後のラインを突破した時には「一番強い記憶」を夜空に描いたよね。

心でね。

天才すぎたね。

 

テンション上がってるとやれるもんだなと後に思ったものである。

とにかくすべての予定が終了した。

 

真っ白に燃え尽きたのを感じた。(よくあるのだが)

 

もうなにもしたくなかった。

べつに何か手に入るわけでもなかったから。

結局疲れただけだったのだし。

終わっちゃえばそんなものである。

ただ達成感だけはあった。

だからもうよかった。

そしてもう何も出来る気がしなかった。

目的など無いから。

 

 

 

ただサイコーーーーーーーーーーーーーーーに 清々しかった。

 

 

 

楽しくて仕方なかった。

いや、本当に。

こんなに達成感を味わい、

そしてこのまま終われるなんて、

あーあなんと気分がイイのだろう。

 

 

妹に子供が産まれた。

 

 

自分だけが”動かない”のを感じていた。

でももうどうでもよかった。

やりきったのだから。

あとは最後に動いて終わりだった。

 

 

と、

 

 

まだこっからが重要な(個人的には)話だが、今現在「この先」は書かないでおこう。 今はよそう。 ※自分に言ってる 元々10年以上ダレトモ関わっていないのである。 この手の内省自省はお手の物だ。

 

2章につづく―……か?

_〆(▽Д▼  )ツヅクノカ? ん?

 

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