デスペラードな愚か者時代 一巻『愚か者よ』

ゲームから得られる2つ以上の人生への利点と4つ以上の害悪。

2014年3月3日

ゲームから得られること

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①色々なことを体験できるシゲキ

およそ現実では体験できないこと、あるいは現実にやっていたらやりきれないだろうことを数多く体験できる。

②能動的に目的に向かって動いて行ける楽しさ

アニメや漫画と違ってそのセカイで行動することができるから。

③「動けば変わる」快感

行動すれば良くも悪くもそれに対して反応や結果が返ってくるというやりがいを知れる。

④その他もろもろの普遍的価値

何かを体験すると、その他の事情に応用が効く。

⑤かなり手軽に手を出せるシロモノである

世界一周などよりもはるかに。

コーラのサイズを指定する勇気を出すよりもはるかに。

 

 

ゲームから得られる固有の物は②と③だと思う。
 
そのレベルは低いにしろ。

つまり「いろんな体験」ができ「いろんな考え方」「手軽に手にできる」ってわけ。

 

 

都合の悪いこと

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※①所詮娯楽に過ぎずない。

消費的で、生産的でなく、役に立たず、大人にはやる余裕が無い。

※②所詮作り物にすぎない。

リスクもなく挫折もない。だから高尚でなく、自分を高めてくれるものでありえない。

※③逆にキレイ過ぎる。

美しすぎて、現実では倦怠感に見舞われる。(現実を低く観る)

※④不安の中ではやれない。

やっていても現実逃避にしかならないので全然面白く感じられない。

 

つまり、
 
遊んでいる暇はないということだろう。
 
私はゲームをただ一方的に賛美しない。
 
害悪はある。
 
その程度のモノとしか見なせずに、利用し、武器とすることをしなければ。

 

 

 

 人は巡りあった環境を、意義たらしめることが肝要である。
(米内光政)

 

 

人生を動かすためには何でも利用してやる。

都合が悪いとした「※」がもたらすこれ等の害悪は決定的ですらある。

目の前の問題を棚上げして、

何かしなければいけないのに、

娯楽など。

ソレは事実である。

どう言おうとも。

だが、

自分はソレによって動いているつもりだ。

そのシゲキによって。

 

 

※①は、確かにそうだ。だが、何事も一気にやれることはないのでは?

①所詮娯楽に過ぎず消費的で、生産的でなく、役に立たず、大人にはやる余裕が無い。

今日何もしていない奴が、明日メジャーリーガーに成ることはないだろう。 最初の一歩が必ずある。それには絶対シゲキが必要であるはず。 どんなものでもそのシゲキ、最初のシゲキには成り得る。まずは野球を見たりプレイすることからそれは始まる。 今、立ち止まっているならばさらに。

 

②は、コレも確かにそうだ。だが、これも”最初”にはなるのでは?

②所詮作り物にすぎない。リスクもなく挫折もない。だから高尚でなく、自分を高めてくれるものでありえない。

何事も理由と自信とがなければ行動できないのだから。 リスクがないから行動しやすい。ソレではいけないのだろうか? だが何もしないよりはマシだ。絶対に。

 

③コレも事実。だが、その感じたものが自分の個性を創るのでは?自分だけが感じたモノがあるから。

③逆にシゲキが強すぎて、美しすぎて、現実では倦怠感に見舞われる。(現実を低く観る)

ただし、並のことではない、楽なことではない。そう聞くと選びたくなる道ではないかもしれない。 ただ、もう自分はそうなっているのだ。往くしか他にはない。

 

④コレも事実。だが、だがそう焦らなくてイイのでは?どうせどうにもならない。

④不安の中でやっていても現実逃避にしかならないので 全然面白く感じられない。

色々やればイイ。成功とかどうとか今はイイ。 とにかく「自分を創るためにシゲキしたり行動する時期」なのだ。 だからこれも、最初のシゲキには十分成り得る。そう思えばどうだ。オレはそれでいい。

 

 

自分は やるだけやって、

そして敗けた。

だから諦められた。

だからもう変な理想が叶わないこと等どうでもいい。

やれたらやるし。

やれなきゃソレまで。

行動はした。

そして敗けた。

やるだけやって。

だからもう焦らなくなった。

これからどうしよう。

とりあえず、 何かやるか。

他にやること無いし。

 

ただし、殆どの場合それだけでは飽きる。

そこから、活性化した状態から、

また様々な事をしていき、

また新たな刺激(シゲキ)を受けて活性化して、

どんどん進んでいく。

このイメージ。

 

だが、 ゲームはその最初を担うだけである。

そう思う。 だがその最初が大事なのだ。

 

そうではないだろうか?

 

重ねて言う、

生きるためではない。

退屈しないためである。

 

我々が、 もっと色んな事が出来ることを 知ることを願う。

ゲームをしないことはそんなに大事であろうか?

そんなになにもしないほうが良いであろうか?

実は

自分にもよく解らない。ソレを探したい。

 

↓次項

何化することの一つ トップ画小さい 

 

※自分の体験記!

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ニートブログの下

 

 

フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

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