ニートアカデミア(哲学) 不登校ブログ

【ひきこもりと教育②】残念ながら適合しませんでした来世にご期待くださいという箱庭で死ねるか

2015年8月1日

普通学校に行くことにどれほど意味があるのか?
 

嫌なら行かなくてもイイ… 教育は希望なんだよ…

などなどあるかと思う。

自分は嫌なら行かなくてイイと言っているけど。

 

 

結論・教育は希望だよね。

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結論から言うと自分も「教育は希望」だと心底思っている。

コレが取り敢えず今の結論。

自分は今何かをやろうとしていてその為のスキルが必要だと実感できている。

それに何かスキルが有ればとても有用だ。

様々に利用範囲が広がるだろうしね。

使い方を工夫すればだけど。

だからそれを学べる場所というのは非常に有用だと思うのだ。

独学でも色々学べるが、人から直接学ぶ方が手っ取り早い。

だが人はそう簡単に教えている時間もないからそんな公共機関があることは素晴らしいと思う。

ただしやる気があれば。

やる気が無ければどんなものも大したものにはならず殆どが無駄になるのではないか。

結果的には様々に利用価値があるのかもしれないが、それは結果論。

 

だから従って、

「やる気の出せるものを見つけてからその分野の教育を受けるなり修行する」

という手段が自分の考えになる。

だから従ってまた、

「いじめと闘わないと心の傷になる」

というのは出来るならば闘うが良い。

けれどそれは精神衛生上のものであって、「その場所に戻るためじゃ無くていい」と思うということ。

闘ったら家に戻るなり好きでいいと思うのだ。

で、

好きに自分の好きなことをして、興味のあることをして、刺激を受けて、影響されて、 ソレを目指すようになり、勉強して、苦悩して、工夫して、落ち込んだり喜んだりして、 こうしようああしようコレだ!

と自分の目標に能動的に進んでいけばいいのだと思うのだ。

 

だから逃げたって「別にいくらでもやりようはある」ということを知る。

 

というのが一番実用性は高いのではないかと思っているんだ。

とにかくソレがこのページの結論ね。

 

 

ただし普通学校では自分が学びたいことは何も学べないのだ。

 

 

あくまで自分は。

 

さあ、

 

普通中学や普通高校などにただなんとなく通うことにどれほどの価値が有るのか。

あらゆる苦痛を我慢してそれでもしがみつかねばならないレールなのだろうか。

 

れ等を多少明確にしてみたい。

出来る限りで。

 

 

この手の話で出てくる2つの普通学校の価値

①就職に強い

既に成り立っているビジネスの一端に携わろうという時に一つの指針となるのが学校の学力だという。

何も学力という言葉自体は普通学校の決まった教科の点数が高いことにだけ当たる言葉ではないと思うけど、

とにかく

「学校の学力が高いと理解力に優れていて物覚えに支障がなさそう」

だということなのかもしれないね。

あとは簡単な数式などはそれなりに使うのかな。

 

ボクも算数は買い物の時に使うしね。

 

科学者や技術者になればもっと利益を得られるのだろうけど。

そればかりが仕事ではないし。

自分の家族や親戚に技術職は一人もいないな。

あとは「頭の体操」とかだったかな。

でもそんな時間あるんだったら好きなコト見つけてそのためのスキルをピンポイントで学んだほうが良くないかな。

 

②社会性の維持

なんだかんだ言っても集団活動下に置かれるんだから社会性に慣れ親しむという事にはなるね。

「教員がいたり友だちがいたり苦手な人がいたり好きな人がいたりなにやらと。時には人生相談したり、悩みも気軽に打ち明けられる期会が多かったり何やら」

といわれる。

実際そういうこともあるだろう。

けどホントにそれがどれほど機能してるのかな。

 

ボクが不登校になっても教員は給食費を集めに来ただけだったぞ。

 

あとは確かに「人と関わることには慣れそう」かな。

バイトや何やらという社会での活動はしやすくなるのかもしれないね。

でも社会人になっていきなり躓いて数ヶ月の鬱病にでもなったらその慣れはパーになりそうだけど。 自分は3週間で戻れなくなったしなあ。

 

ということで取り敢えずそういうことで仮定。

ちょっと最後の方だけネガキャン入ってるけども。

でも別に学校がイケないとは思わないんだよ。

無くてもいいとは思うけどそれは自分の経験と性質と理屈。

学校が合う人も居るのだ。

自分みたいのは全然合わないというだけで。

本来学校が合う人がわざわざそこから外れる必要もないだろうし、

うちの兄貴は大学院までシャーッと行って公務員やってるよ。

ここまでレールを完璧に乗れば学校って素晴らしいよね。

それでいてこの人は趣味も豊富なんだ。

そういうことは殆どこの人から教わったんだボクは。

なんてリア充だ。

でも勿論受験勉強やら何やら免許試験やら何やらと苦労してるのを見ているからね。

そのレールを行くだけでも普通に人生の大きな糧になるだろう価値を持ってると思える。

 

※これから何を言おうと、

学校行っていない自分の人から羨ましがられる様な状況ではない様を見れば説得力など皆無。

ということを理解していただいた上でよろしくお願いしますよほんと。

 

 

生きる意味が見つからない実状

しかしそこまできっちり学校レールをキメきる事もできないのが実状ではないか。

「取り敢えず高校くらいは出とくか…」
「今どき大学は行っとかないと…」

それだけの理由でどこまで頑張れるのだろうか。

大学まで行っても自分と同じような状況の人なんてネット上にわんさかいるぞ。

愛すべき心の友たちが。

「大学に行くまでが目標だったから…」
「やりたい事がわからない…」
「会社に入ってうつ病になった…」

こんな理由がわんさかある現実社会。

高校で引きこもらなくたって社会に出て「生きる意味が見つからない」 ということがこんなにあるじゃないの。

 

何も決定的な価値は無いのでは

それじゃこれ等の有利について考えてみたい。

①に関して、

就職はしやすいかもしれない

無いより就職はし易いのかもしれない。高卒以上とかいう設定をわざわざ設けているところは多いしね。 だからそれに関してどうこう言うこともないかな。 勿論、それより実践を多く積んで実務経験を持ったほうが良いとかどうとかは言われるだろうけど。

机に向かって勉強してるよりAmazonのマーケットプレイスで実際に商売した方がいいとかなんとか。

まあそれも一概には言えないと思うけど。

だがそれだけが人生ではない

だからそれはいいとして、 さっき確認したようにやりたい事が見つからないとか社会人になって鬱になるだとかということは起こりうるわけだ。いくら中学や高校や大学へ行こうとも。 別に引き篭もらなくたってそういう「都合の悪いこと」は起こりうる。 それは何でもそうで個人差だよね。

そこにだけこだわる価値が有るか?

でも何もしてないよりマシなんじゃないの? と思うところもあるが、 その程度の薄弱とした理由のためにどれだけのものを犠牲にしてそこにしがみつかねばならないのだろうか? そんなに頑張るなら頑張れるだけの自分的な理由を見つけてからでもいいのではないかい? いや、ふつうにさ。

 

 

②に関して、

社会性は鍛えられるかもしれない

確かに慣れというものがあるし、様々な共同作業をしなければいけないから鍛えられるということはあるね。

友だちがいなくてもそれを人に知られると何故か恥ずかしいからそう見せないように机に突っ伏して過ごして「寝てる感」をアピールするなんていう技法は工夫の賜物だもんね。

そうして社会性スキルは鍛えられていくのかもしれない。どちらかと言うと苦痛や恥に対する耐性なのかな。 あとは友だちが出来るとかかな。

 

だがそればかりが人生ではない

実際ソレで頑張って来たとしても社会人になって鬱って少しその場を離れる時があるとすると、 それだけで戻れなくなったりすることがあるよね。 慣れなんて絶えずやり続けていないと意味無いものになるよ。 自分も仕事には相当戻り辛くなったものだし。保育園や小学生の時に社会性なんてもう培ってるんじゃないのか(笑) ソレ以上に慣れはないような気がするな。個人的にだけど。

あと兄貴の友達はどんどん変わっていたぞ。

妹は学校の友達に今現在全然心を開いていないぞ。地元だからよく遭う機会はあるようだが。

 

そこにだけこだわる価値が有るか?

社会性が要らないとは言わないけどね。高度の社会性を持つ生き物が人間だろうから。 でもソレほどの高度な社会性を持たなければ生きていけないようなこともないんじゃないかな。

ゴミ捨てに行く時だーれも言葉交わしてない時あるぞ。

必要なときに必要なだけでもさ。そんなもんでは。要らないとか効果ないとか言ってるんじゃなくて、 決定的でもないであろうということ。 わざわざ色んなことを我慢してそのルートにこだわるほどの決定的なものだろうか? そこから外れたら終わりだぞ!みたいなさ。どうだろう。

 

説得力ないけどね!

あらゆる言葉がブラックホール的な空間に吸い込まれていくのが判るもんねボクは。

 

「残念ながら適合しませんでした来世にご期待ください」

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一体何の役に立つのか判らない様な高等数学や化学反応式の点数で優劣付けられて、

数教科しか無い中で優劣付けられて、

 

挙句の果てには物を教える教師が「こんなことも出来ない人が世の中で何の役に立つのですか」と信じて洗脳している様は病的だ。

 

それじゃあアルキメデスがローマ帝国を創れたのか。

 

個性をはなっから否定しているじゃあないか。

一つの正義を押し付けられるだけじゃないかあの箱庭は。

最悪それでもいいとして、

自分がそれに適合しなかったらどうするんだ。

「残念ながら適合しませんでした来世にご期待ください」でいいのか

 

一つの世界しか無いとはそういうことじゃないか。

 

その箱があるのは別にいい。

しかしその中に誰も彼もと皆ぶち込んで一緒くたにすることは 効率的であっても効果的ではない。

しかし公立の機関だから一人一人に合ったカリキュラムを適合させるのは無理があるね。

だからそういう人はそこから外れてもイイと思わないか?

社会制度による支援はほとんど受けられないだろうけど。

自分を殺して旨く一つの正義にだましだまし合わせるのもいいかもしれないけどね。

恋人と結婚したいなら仕方ないね。

子どもも作っちゃったんでしょ。

それなら仕方ないかも。

 

「一つの世界」は異常。

ここで考えていることは学校がどうのこうのというよりも、
 
 
「それだけが至上」となってしまうことは、「それから外れている人間に何の価値ももたらさない」ということなんだ。
 
 
だからそうじゃなくても、
 
「やりようは一杯いくらでもある」
 
という意識の方がどんなに自分に価値があるだろうかということ。
 
「正しいことではない自分を動かして前に進むための考え方を」
 
という為にやっているページ。
 
どんな状況にも良し悪しがあるように、
 
やはり家に一人で引き篭もって孤立する場合には困ることも出てくるからね。
 
その場合に「どう考えると自分に価値があるか」考えるというのは良いのではないか。
 
 
つまり自分のやりたい事を見つける為に楽しく遊んで、
 
刺激や影響を受けて、
 
ああしようこうしようコレだ!
 
 
と能動的に活動していくことがどれだけ価値あるかを知ってほしいのだ。
 
「何処に居たってやりようはあるんだ」と。
 
 

成長のためのひきこもり推奨!!

 

特にまだ色んな良い影響を受けていない時期ならなおさらでその不遇に対抗させられる考え方や哲学や思想などがないから。

「心のなかで戦うにも武器がない。」

心や気持ちの中でも敗けてしまってもう自分の心では受け止められなくなってしまう。

「【中2自殺】退路が絶たれたらもう万歳突撃特攻しかなくなる。」

 
その間にいい影響を受けて成長しよう。
 
感動できるものを観よう。
 
憧れるものを読もう。
 
いつ死んでも後悔しないだけのことをしておこう。
 
いつか必ず死ぬから。
 
 
 

ただし!

 

うちの妹は学校で捕まえた子と結婚しましたよ。

ロマンスもまた存在するね。

勿論学校に行った人にはそれだけ固有の経験があるのだからソレはそれでいい事だろうよ。

 

→人生教育シミュレーション 仮定してみるとどうだろうか。

 

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