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13歳で働いた元少年労働兵がアラサーニートで人生を生ききる為に『やれたらやる』ブログ。「もしかしたらこれやったら違う日になるかも」

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【ひきこもりと教育①】どれほど困難な状況のもとでどれほどの抵抗を試みたかの理想

更新日:

ふと付けたテレビでやっていた夜回り先生。

夜の街を徘徊して若者たちと関わり合う人。

bandicam 2015-07-23 04-12-17-917

ちょっと前によく話題になっていたね。

そこでこういうことを言っていた。

 

「教育は希望なんですよ。家に一人で閉じこもって、病んで、 (あとはあまり正確に記憶していないがよろしくない状態になるということ)

 

夜に16くらいの子たちが数人でただ座って集まっている所にやってきて話を聞くと「いじめられて退学になった」というのだ。

それに「なんでお前が退学になるんだ」と言って辞めなければ校長にでも言って話しつけてやったのにとか言うのだね。

そして上記のようなことを言っていたという話。

ちょっとそれについて思うところと興味深いものがあるため記してみたい。

勿論この方をdisるだとか批判だというのではない。

多くの実例と向き合って臨床経験豊富な人の見解はとても説得力がある。

それに自分はいじめ問題やら学校内のことやらをどうこういう気は無い。

経験者だというようなその立場にも無いしこのサイトのスタンスはその「外」での話でその「先」の話だろうし。

だからむしろあまり興味が無い機関だね学校自体は。

お世話になっていた期間がものすごく短いからか。

 

ただ「世界観を広げて色んな環境下で生きていいと思う」という思想がある以上、

 

考えを明白にしておくのもいいかなと思ったから。

出来る限りで。

 

 

立ち向かうという理想

まず考えたいことは理想としての話。
 

自分は理想者でハードルを上げるのが得意なものだから。

特に何事においても理想としては、

 

「立ち向かって、闘って、克服して、強く生きる」

 

というのに勿論あこがれる。

それが出来たら一番いいと思う。

その点に関しては特殊な考えは持っていないと思うね。

 

「逃げると心の傷が出来たままになる」

 

ということで自分たちを奮い立てせて戦うことは素晴らしい。

漫画のシーンならハイライトになるいいシーンだ。

ジョジョで心に刺さるセリフと共にジョリーンが未来への意志を宣言するようなシーン。

コレができたら何よりも良いと思う。

 

軍隊においてはこういう話がある。  

Austerlitz-baron-Pascal_201507230451522be.jpg

まず、クラウゼヴィッツによれば軍の力とは2つある。

 

「物理的諸力」精神的諸力」

 

「物理的諸力」というのは「兵士の肉体や武器弾薬食料」などなど。

「精神的諸力」というのは「気持ち、意識、感情」などなど。

 

そして 物理的諸力は一度壊れるとその戦闘ではもう使用できないのに対して、

 

精神的諸力というのは上がったり下がったりするというのだ。

 

それ自体は簡単な理屈だね。

肉体と精神で成り立っているというわけだ。

軍も人も。

人が集まって形成されている以上、

軍隊という集団も人という個人もここは同じだと。

この2つで持って軍の戦闘力というのは形成されていると言う。

だからこの2つともが大事なわけだが、

そして、

 

敗戦すると軍の精神的諸力は大きくダウンするのだ。

 

当たり前といえば当たり前だね。

敗けたんだから。

物理的諸力だってダウンするでしょとね。

兵士が死んじゃうでしょと。

 

でも実際ゲームみたいに兵士が0になるわけではなくて 殆どの場合は兵士の損害よりも「もう敗けそう」という意識から兵士が戦わなくなって 形勢不利となって敗走を始めてしまっての「敗戦」となることが殆どなんだ。

 

だから物理的諸力の損失よりも先ず大きい損害というのは 精神的諸力の衰退だというのだ。

 

敗けたり失敗したりすると人って落ち込むということ。

だからそれをいち早く回復させることが急務とされるんだね。

その場合の方法は幾つかあるという。

 

①「優秀な指揮官に絶えず鼓舞されること」

コレはよく英雄や名将と呼ばれる人たちだ。どんな状況下に陥っても「この人なら」と思わせるだけの実績とその姿勢に裏打ちされたカリスマ。どんな辛い状況でもその人の顔を見れば「まだやれる」と思わせてくれ、 或いは勇気と希望と誇りに満ちた言葉で奮い立たせてくれる。

 

②「まだ戦意猛々しい本部隊に収容されること」

ちょっと専門的な表現になるけど。つまり「そういうテンションに触れること」という意味だ。「あたかも凍えてしまった四肢の一部を温かい体に触れさせると温度が戻るかのように」という。冬だと手が寒くなってハアハアして温めるけど、腹に手をくぐらせるともうそれだけで暖かくなる。 その意気揚々としたテンションの中にいることで自然と気分がアガってくるというところかな。それに敗けたのは自分たち一部であって本体はまだ健在なんだと思えるしね。そしてコレが最も重要で 最大の効果を持つという③番目の方法。

 

③「どれほど困難な状況のもとでどれほどの抵抗を試みたか」

という次第に依存するという。

コレが自信を失って落ち込んだ時に人の精神力を最も早く回復させる最も効果的な方法だというのだ。

人は何か自信を失うようなことがあった時、

冷静になってそれ等を思い起こすと、

客観的に見れるようになる。

 

「あの敗戦の時に自分は恐怖にかられて戦おうとすることもなく背中を向けて武器を放り出し 鼻水を垂らしながら死にたくないという一心で仲間も見捨ててなりふり構わずただひたすらに逃げたみっともなく惨めな自分」

 

そう思ってしまうと、

「なんて自分て屑なんだ才能ないんだ価値がないんだ頑張っても大したことは出来そうにないな」 と思ってしまう。

それが事実であるかどうかは別としてあの状況のもとで自分は何も出来なかったということで、

自信をさらに失って立ち上がるのに時間を多く必要とするという。

 

しかし、

 

それだけ困難な状況といえる中でも、

さらには敗戦したとしても、

「自分はそれに踏ん張ってみせ、これだけの事をやった。一矢は報いた。」

とでも思えるような行動を取っていると

後々の自信につながる。

 

恐怖心にかられて逃げただけでは敵の姿は見えず、

ただ大きく自分を脅かすものとしか映らないから想像の中でどんどん大きくなる。

 

だが一旦踏みとどまって勇気に照らされた抵抗の中での敗戦は次に繋がりやすい。

もっとこうしてやれば次は勝てるかもと。

 

戦闘で敗戦した軍が自信を最も早く効果的に回復させるにもこういう理屈があるという話だね。

だから退却する時にも一気に行うのではなくて、

多少の被害が出ようとも少しずつ始めていく。

 

「さながら手負いの獅子がしずしずと退去するかのごとく」

 

隙を見せず、いつでも反撃の用意がある様を見せつけての退却。

あくまで戦略的なものであって精神的な恐慌によって逃げるのではないという姿勢は相手の追撃の意思を鈍らせるから。

軍事的なお話だったがこういう事は普遍的なものなのでどんな事象にも照らしてみれると思う。

というより自分はそう考えている。

だからこういう風にしていられるのが一番の理想だという考えはある。

 

向き合って

立ち向かい

闘って

協力して

負けないで

人生のすべてのシーンで

人生の全ての壁で

 

そうで在れたらどれだけ主人公か。

 

だけど、

 

そう出来ない人や、そう出来なかった人もいるだろうこと。

 

私は正にその場合において、

 

色んな選択肢があると考えることはその時の自分に対して有効だと考える。

 

 

ボクは学校に興味がナイ。

 

自分の経験はあくまで学校という世界の「外」と「先」の話。

 

最初にも言ったけど、

自分はいじめ問題やその経験者という立場からものが言えるものでないし、

そのつもりもないから具体的にどうしろという考えはない。

 

それに自分の経験では積極的な攻撃は受けたことがなく、自分の場合は遠巻きにされ無視されるといったもの。

 

対抗する余地があったのか。

いや、だからこそ内面での向き合いや奮い立たせが必要ということか?

だがそれも壮絶な直接的な暴行犯罪いじめに比べたらなんてこと無いなと思えてしまう。

 

それに自分も「この人にいじめられました」と言われればそれくらいのことは子供の頃にしてんじゃないのかな。 悪口言ったり変なあだ名つけてからかったり。

 

だからその頃の自分は好きじゃないんだけど。

「もう死ぬほどだったらさっさと相手を殺して懲役を果たして自分の人生を新しくスタートさせたらいいんじゃない?」 とか極端でアバウトなことしか言えないかな。

 

あとは

「ひきこもっちゃいなよ」

としか。

 

そこからの方が長くないか。

自分がそうであったように。

 

 だからもうそういうのは水谷先生のところに行けばいいんじゃない。
(動画)水谷修・夜回り先生のTV講演 夜にさ迷う子供たち

 

ちょっとした記憶

最近昔のゲームを見たりして少年期を思い出したり、

ちょっとこんなこと書いたりしてるともうだいぶ忘れ去っていたこの頃の記憶が蘇るのだが、

ついでに少し思い起こしてみよう。

 

反撃

例えば自分は小学校の中頃だっただろうか。

一時期からかわれ続けた子に仕返しをしたことがあった。

自分はたらこ唇でさらに乾燥肌だから普通にしておくと超荒れる。 赤く腫れ上がってさらに大きくなりなんか口紅塗ったみたいに赤くなるしなんかむしろセクシーになる。 だから今も薬用リップクリームが必須なわけだけど、 それをいじられからかわれたのだ。

それがものすごく嫌で、人がいる前でからかわれる訳だから恥も大きい。

不器用だから機転の効く返しなども出来ないのでムカつくだけなわけだ。 それで同じ、なんていうのかなアレ、班? そういうグループで同じなものだから常に近くにいるわけで困るんだよね。

ソレで色々と思いつめた結果

「そいつの靴を隠して“人をからかうな“と匿名で書面を教室に置いた」 のだ。

 

今思うと相当陰湿な仕返しなんだ(笑)

 

それでクラスが担任にどやされて捜索作戦が始まってもボクは知らないふり。

でも結局担任は分かってたようで呼び出されて問い詰められたけど知らんふり。

 

多分「やられたことに対して対抗しただけ」という気持ちが勝ってしらをつき通したのだろうが。

※勿論バレているけどそれ以上追求されなかった

 

勿論理想は堂々と言うことなんだろうけど。

そこら辺は自分なりな戦い方をしたということなのかな。

自分は誰にもこういうことを言えないタイプだから。

さらに9歳くらいの時だものね。

ソレ以降からかいは無くなった。

というか別にその子と仲が悪いわけではなくて、テイルズの話したりするし、割と親交はあったんだけどさ。その後も。

 

突如としてそんなことにもなりうるということで。

 

「裏切り」か、ただの「変な空気」か。

後は、 一番仲良かった友達がいた。どれくらいというと休みの日はほとんど一緒に遊んでるような。 基本グループ形成してるんだけどその中にもさらに親交のある組に別れるじゃない。 その内の一人でいつも遊んでたような。

で、

 

仲間内で「キズナ試し」みたいなアホな事をやったことがあって、

 

これは仕掛け人が「誰誰を無視しようぜ」とか言って誰がそれに乗ってくるか?

というのを試すという向かう所絶望しかないというアホな企画だった。

もう察しがつくだろうけど、

 

自分を無視するという事にこの友達が同意したのだった。

 

すぐネタばらしがあったがただ気まずくなるだけということで。

相手はバツの悪そうな感じだし、こっちはこっちで何事もなかったかのように装うという。

でも裏切りそうな奴が意外とどっちにもなびかなかったり面白い企画ではあったが。

まあでも所詮そんなもんだろうと思ったけれど。

勿オレが悪いんだろうけどね

∑(ノ∀`)

 

方や断れず流れにノッてしまうし、

方や拒絶されたことを認められないか周りに知られたくなくて隠そうとする。

 

そんな世界。

 

そんな小ささだからこの時代は特別な思い入れはないんだ。

良くも悪くもな少年時代という以上でも以下でもない。

 

でもそいつとはそれからもずっと遊んでたし、

不登校になった時に電話かけたり遊びに誘ってくる内の一人でもあったりした。

 

だからどっちに転ぶか判らん不安定さを持ってるよねこの時期の空間は。

 

そういう関係も全部自分が切り捨てちゃったんだけど。

 

そしてさ、

こういうどっちが加害者になったり被害者になったり、 上になったり下になったり裏があったり表があったりというのがほんとに嫌になったのだった。 青いこと言ってるんだろうけど13だからそりゃ青いよ。

 

中学の時のDQNが俺の部下になったwwwwwwwwwwww(外部リンク)

こんなのばっかりだった。

 

このどっちもどっちな世界にとんでもなく失望して「世界はこんなもんなのか…」とか言ってた。 そんな中2病をそのまま行動に移した結果学校なんか行かなくなってた。

 

だから自分は戦争に興味があるんだ。

命のやりとりしか無いシンプルな闘争に。

生きるか死ぬか。

勝つか敗けるか。

殺すか殺されるか。

だから勉強したしその渦中に行きたいと思った。

トラウマになるほど精神的にダメージを負ったりしたがそれでもだからこそ本気で臨める題材だからだ。

上っ面を被ることもなく、

本気で向き合える。

戦争は陰謀や騙し合いもあるが基本的に戦いという前提で行われている化かし合いだからいいのだろうか。

うんまあそんなんはいいか。

 

加害の部分は別としても、

だから被害という部分にしてはもうホントーにどうでもいいんだよね。

自分の人生に影響を与えるようなことに出会うのはそれからのこと。

 

それからが全てだったと思えるようなことが死ぬほどあった。

それこさ死ぬほど。

死にたくなるような恋もしたし死にたくなるほど憧れたものとも出会ったし。

引き篭もり労働者のくせに。

他のページで「何もなかった」という趣旨のことを言ってるけどそれは「動いていかなかった」という意味。

頭のなかで考えたり望んだりしていることに対して何も運命が動いていかないという意味。

色んな影響はあったのだ。

 

だから自分の人生において重要な事は 「そこから」「これから」なのだ。

 

故に学校問題とかはあまり興味が無い。

あの機関は自分の人生にあまり関与していないしね。

これからも関わり合うこともないだろう場所。

でもそのおかげでペルソナ(ゲーム)とかを楽しめるのかも知れないけど。

自分にとってはあの雰囲気はファンタジーレベルだもの。

このブログがそういう意識でやっているところだからコレばっかりはしょうがないよ。

うん。

学校問題などは全く共感性を示すことが出来ないかもしれないが、

そこから脱却したのならば、

その先を自分は歩いてきたという経験談が出来るのだ。

 

このページシリーズで考えてるのは あくまで「ひきこもりと教育」についてだ!

 

→次は学校登校の価値

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