トップバー広告(PC)

ニートのプロフ

【とあるニートのプロフ】天に愛されし罪深き時代(88年~/幼年・少年期/(▽Д▽@ )13歳)

2015年9月15日

 

天に愛されし罪深き時代

 
産まれてから学校を抜けて労働者になるまでがこの時代だけど、
 

本当に何のこともないフツーの幼少期。

 

 

性格「横暴で獰猛で気が強くて運動だけは出来るクソガキ。」

なにかと仕切りたがり主導権を握ろうとするジャイアン。

だからわりと強い立場にいたことになる。

このような時代は「勉強できるか足が速いか」で決まるからねうん。

3兄弟の間でコミュニケーション能力は高いと言われる部類。

実際強い立場にあればすべて積極的に行動できるからコミュ力は高かっただろう。

友達はどうだろう、いつも7,8人くらいでつるんでいた感じ。

弱いほど仲間を作って群れるものだからか。

そういわれて「仲間とかじゃねえよ!友達だよ!」とかいう恥ずかしい名言を飛ばしていたね。

 

さてさてその友達とやらはどこへ行ったのやら

┐(´∀`)┌

 

あ、でも家まで迎えに来てくれんだよ。

学校から近いから一緒に行きながらワイワイ話しながら行くというさ。

 

いま考えるとすごい変。

 

小学生の4年生くらいの時にポケモン話のもつれから「友達が殴られた」という状況にて上級生数人を相手取り乱闘を繰り広げたのが最大の武勇伝という超早熟のやんちゃ。

※それ以降はナシ

 

止めにはいった関係のない人までどつきまわして戦火を広げるも

 

兄貴に取り押さえられた時は無抵抗

(*´艸`*)

 

この世で最も尊敬するのは兄貴なボクです。

 

でも「ヤンキー」というのは微妙じゃない?

だって13歳でひきこもってるんだし、

小学生ヤンキー?

なにそれきもい。

 

 

環境「親が自営業をする中流階級と言って良いかな。」

 

親父はヤクザみたいな風貌でとにかく厳格げんこつパパ。

 

「言ってもわからないなら体で覚えさせる」ということで何度殴られたかしれない。

川に捨てるだの山に置き去るなどいわれたり実行されたり。

しかし妹は殴られたことはない。

ボクはよく学校で怒られるけどそれより親父に話を持ってかれるのだけが怖かった。

家に来る友達もものっそいビビっていた。

 

ほとんど家におらず働いていて、

 

定休日の一日だけ家に居るのだがその時間は緊張しかない。

何かしたら殴られると思うからなにもしないでただ過ごすという感じ。

飼ってる猫もビビりまくっていて、

親父の足音がするやいなや腰を落としてそろりそろりやってきてボクの布団の中でずっとうずくまってるほど。

(一回テーブルの上に乗っていたところを怒鳴られて以来怖がるようになったのだ)

 

悪さをすると母親に「◯◯さんに電話するから」といわれて家を飛び出して外を逃げまわるほどの恐怖統治下にあった。※母親と親父は歳が10ほど離れているので母は親父のことを苗字にさん付けで呼んでいるのだ。ちなみに出会って3日で結婚している。

 

15になったら自分で働いて学校にいけとかそういうスパルタ式を好む叩き上げ。

13で働いてやったけどな。

そこはさすがの親父もびっくりの麒麟児だったものな。

 

母親は後妻のごとき距離感で多分、触ったことがない。

うん。物心ついたときには多分触ったことなかったような記憶。

 

だが超過保護。

 

それなりに教育ママぶりを最初は発揮して様々な通信教育やら習い事やらさせようとするも、子どもたちがすべていやがるとすぐ辞めさせてしまう。

 

「学校行くな」とか「働くな」とかすんごくて、

 

それが当時は嫌だった。

だって人は強く生きなくては。

 

両親共働きだったので早く学校が終わる土曜や休みの日曜はお昼は買えってことで、

コンビニで買いながら友達の家に行って遊んだね。

兄弟もいるから遊ぶには困らなかったし、

ほとんど遊びまわっていた。

 

人と遊ばない日はないし、

むしろ遊びすぎて疲れるから休養日をいれたり。

 

子供なのに。

そういうことで人の家の家族や親御さんなどにとり入ったりして良くしてもらうのが得意な外交的な子供だったね。

 

とにかく挨拶やお辞儀や目上の人に対する言葉使いは親父から殴られながら仕込まれたので、他所の家に来ても好印象を持たれたのだった。

 

「むらくも君うちの子と遊んであげてね」

「むらくも君うちの子を頼むね」

「むらくも君うちの子を守ってあげてね」

 

そんなことを頼まれるような子供だった。

 

たしか

(  ▽Д▼)y-~~

 

人の家に行くと「親御さんを心配させられない」とか思ってめちゃくちゃその子をおだてるとかやっていた。

※でも外で喧嘩して気に食わなければクツに砂をかけるとかしていた

 

病的に気を使いながら、接待というか、良い思いさせてやろうというか、

 

いや、顔色をうかがっていたというか。

 

親父によく怒られるのでほんとうによく大人の顔色をうかがう子供でもあった。

自分を良く見せようとしていただけかもしれないけど。

 

 

あとは物心ついた時から働かされていた。

 

「社会に出るときのための訓練」と称して自前の飲食店で、

週に決まった日にちに皿洗いや配膳を2時間ほどやらされる。

「あらかわいい子たちだね~」とかチヤホヤされながらやる。

お盆のメシをひっくり返しても笑ってゆるしてもらえる。

だが親父には殴られる。

アニメのるろうに剣心が観れなかったのが一番泣いた。

というか確実に労基法違反。

夜11時とかふつうに働いてた。

 

とにかく総じては、

フツーというか良いことも悪いこともあった少年時代だなあという感情しか無い。

日本に産まれたなら大多数が過ごすだろうというフツーだとは思うけど。

どうだろうか。

いやもちろん幸せな時代なんだろう。

 

この時代の関連ページ
「ひきこもりと教育シリーズ」
その他「名作を追え!」やら「ゲームオブメモリーズ」に散らばった記憶たち

スポンサーリンク/記事直下型2連装無職砲

ニートブログの下

 

 

フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

-ニートのプロフ