ニートブログむらくもの野望

13歳で働いた元少年労働兵がアラサーニート1万円生活。自殺帰還者がその後をニートで生きたひきこもり無職のお話日記的『やれたらやる』ブログ。「もしかしたらこれやったら違う日になるかも」

【やると言ったらやるスゴ味のリスト!!】全人類にとっては小さな一歩だが1人のニートにとっては大きな一歩だ。

      2016/12/15

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「こいつに頼んでもうまくいかないなあ。なぜって、辞めるからなあ。」

「コイツには、やるといったらやる…スゴ味があるッ!!!!!」

 

やると言ったことリスト×企画遂行中ミッション

やると言ったことリスト×企画遂行中ミッション 成否
・日本のRPGをドン底から復権させる
・史上最高のRPGをつくる(我が主張論)
・ジャンプの裏番ネタ投稿で週間日本一になる!
・名作RPGめぐり(名作を追え!)
・ファイナルファンタジープレイ記(アラサーFF)
・地元ナガノをめぐる旅(ナガノグレートぼっちチャリンジ) △ 
・ロマンシングローマを3までは絶対作るがな!(ツクールRPG制作) △ 
・チャリで府中に往復200km旅(チャリで府中に日本ダービーを観に行っちゃおう)
・体重82kg→75kg 体脂肪率24%→17%ダイエット(ニートダイエット)
・ママチャリ8速化改造(ブケパロス闘山伝説) 

※「◎」…完全達成 「◯」…達成と言っても良いだろう 「△」…遂行中oa停滞中 「✕」…撤退宣言

 

ミニマムマウスな男

あとは特別に「やる」とは言っていないけどブログがもうかれこれ3年目になるということがある。意外と続けられたね。ほぼノーギャラ状態で。

 

それにしても大して多くは「具体的には言っていない」という儚さを記録。

 

ミニマムマウスな男、それがワタシです。

 

その中で際立つ「史上最高のRPGをつくる」という言動。

いや言ったっけ?

「を、作る方法論」という触れ込みでゲーム会社に利益をもたらすお話をテロ投函し続けただけじゃなかったっけ?どうだったけ?

何にせよ「なんじゃそりゃ?」という考えになっている現代でありますけれどもね。名作を追ったり何だったりしているとね。うん。

「日本のRPGをドン底から復権させる」というのもただのブログ名やし。

それに最近「ペルソナ5」が寂しくなった据え置き機においてハーフミリオンセールスを達成したということで「もう復権されたんじゃねオレ抜きで。」という現代でありますけれどもね。

 

もう現代って恐い。

話が進みすぎている。

 

もはやゲームの事なんぞから離れてちょこちょこ動いて、またちょっと戻って、離れてのカバディしているうちに、

 

いつの間にかソーシャルゲーム勢は駆逐されていた世界になりましたねありがとうござりましたまったくこの野郎が。

 

勇者が居たみたいですよ。

オレの知らんところですでに世界が救われていたみたい。

 

『信用』とはなにか。その信用はあなたの財産になる。

金がないからなにも出来ないという人間は、金があっても何も出来ない人間である。

小林一三

 

最近「お金のしくみ」ってのをみることがあって、

よーく考えるとお金でさえ「信用」が基盤になってるわけ。

人としての信用はもちろんだけど。

 

信用って「子供の頃に明確に覚えられないけど、大人になってからこれ程も重要な事もないパワー」だと思う。なにするにしても信用があるだけで人としての格が違う気がするね。

 

ということで信用について、

「自分は言ったことをやったか?」

ということをリスト化して残してみるよ。

 

「なにをやったか?」

「あるいはやり通したか?」

 

という信用は、もはや実績だと思うわけである。

 

だって人間はなにもしないことも出来るのだし。

辞めることだって簡単だし。

 

そうであるならその逆は「希少性」がある。

「それだけのことが出来る」という推量も可能だ。

つまりそれだけの「価値」は可視化して認められることになる。

それ以上を求めなければいいだけの話で、

その実績のかぎりにおいては、

 

『信用ができる』ということになるのだから。

 

「なにをやったかやり通したか」という1度の実績も無い者よりはね。

 

金一つ預けるにしたってさ?

 

うちは実家が飲食店だけど、雇っていた店長は貸した金を持って逃げたし雇っていたアルバイトの女は店に客としてきた男友達にレジを素通りさせていたりするわけだ。

 

これを一度でもやったらもう信用は地の底に落ちるわけ。

 

辞めてくれってなるよそりゃ。そしてもう雇わないよってなるよそりゃ。前科が付けば他の店に行っても雇えないってなるよそりゃ。

回復できないことはないだろうけど、基本的にはもうイメージが染み付いてしまう。

まあもちろん「やり直し」にこそ人の魅力もあるんだろうけどね。失敗から学ぶもんだし。

だがそれはなかなか人に伝わらない。

 

イメージ戦略やブランディングがそれだけ行われる世界を見れば効果がわかるけど、だから、それが出来たら大企業の広報担当が務まっちゃうくらいの能力なのだ。

 

これはわかり易すぎる例えだけど、

 

お金の仕組みがすでにそうであるように、この世はほとんどのことを信用で運用しているってことだと思うんだよ。

 

すべてがすべてシステムや法律で運用できないから、必ずその時その時、流動的な現状にあわせて、あるいはケースバイケースのなかで、フリーハンドで、

 

裁量される際には必ず「信用」という実績や能力が関わってくるのだ。

 

もちろん「投資」や、「約束」や、あるいは「任せる」とか、「頼む」とか、「採用」とか、「雇用」とか、「契約」とか、そういったことも人の裁量で決められるわけだしね。

 

信用には「才能」や「成果」や「実績」というだけではない、

「それに関しては認められる」という認識があればいいのだから、

「やり通した」ということもまた一つの信用につながると個人的には思うのである。

 

そしてそれが困難だと思われれば思われるほどに、

尊敬に変わる。

敬意は人と人が対する上でもっと良好な素材だと思う。

 

「やるといったことをやる」という信用はこういった効果がある。

嘘をつかないだろう。

誠実な姿勢は「疑う」という余計なコストは省くし、言ってることを前提として物事を進める以上それがそもそも嘘を含んでいたら成り立たないので非常に「迷惑」になる。ただでさえ敵と戦っている場合、内側にも「不安要因」を抱えたい人間はいないから。

「嘘つきは常に遠ざけられるから」

 

粘りがあるだろう。

物事を行えばかならず障害にあたることは行動した人なら誰でも知ってるんじゃないか。非難や罵声や差別やヤジやらなにやらと、輝かしいアクションに付随するには「不当不条理と思わしき声援の数々」。あるいはまったくの無反応という「無力感」。想定外の困難。邪魔。問題。色々な「現実のモンスター」の出現によって頓挫し、「やる気や遂行力を削ぐ」わけなのだ。それに対する「それでもやるのか」という信用。「成功しないなら辞めても続けても同じ」とおもわれるかもしれない。それを評価しない人もあるだろう。

しかし

「それだけでもそれだけはやるんだな」

という一定の信用は成り立つわけなのだ。

 

信用の価値を知っているだろう。

非常に困難な状況で、圧倒的不利な状況下で、何かを頼む際に、それは断られるだろう。何度も断られるだろう。あるいはそうでなくとも差別か何かで信用されないということもあるだろう。だからこそ、もし信じてくれた人があるのなら、

「その信用を絶対に裏切ることだけはしない」ということを思うだろう。

だから「やり通す」という最低限のことだけは果たしたのだから。

と。

物事が成るか成らないのかは結局のところはわからないというのはみんな知ってることなのだから。

しかしやり切らずに辞めた場合はただ単に「辞めたからうまくいかなかった」にしかならないのだ。

そこには「やっていたらうまくいっていたかもしれない」というキモチが残るし、

「そもそもその為に頼んだのにそれすらやらなかった」ということで、

 

「こいつに頼んでもうまくいかない。なぜなら辞めるから。」

 

となってしまう。

やり通せばうまくいったにせよ失敗したにせよ、

じゃあ次はこうするかといった次の展開になるし、

その失敗はあくまでデータとして最低でも成果になるのだ。

 

とかオレなんかは思っちゃったりする。

 

ツクールゲームのAバグ一年放置しててよく言うよね。

(ほんとアレに関しては申し訳ないですはい。無為に人の時間を奪っていたという点において結構ガックシ来ていましたはい。もうフォームとか設置しないとダメだなこりゃはい。申し訳なさすぎてはい。)

 

ニートだって無職だってそこのところは関係がない。差別的なイメージはあるし、実際にもあるだろうけど。

なにせ俺の人生テーマが「やれたらやる」なわけだし。

「やれなきゃやらんのかあ」と思われればそれで済むわけだから。

しかしまあこれは自分が生きていく上での至上命題的な哲学なわけだからしょうがないところではある。

そういう世間体には実績のみしか通用しないのも現実かと。

 

まあそれはいいとして、

 

でも単に「やり続ける」ってより「常に工夫する」のが重なるとさらに良いと思われる。

「頑張る」っていうのはいつか折れちゃうからね。

 

頑張って続けるんじゃないんだよ。

工夫して続けんるんだよ。

 

楽しく思えるように、

意義を感じられるように、

面白くなるように、

自分の欲をシゲキするようなやり方で工夫してさ。

 

上手くいきだしたらやる気を出して頑張れば良いんじゃないの。

 

やる気で燃えてないのに叩いたら折れちゃうから。結局続けられないから。

 

これぞ「やれたらやる」の真髄。

 

逆に「やめる理由」はコレ!

軽い気持ちで好奇心からとりあえずやってみただけのもの。
「面白くない」もの。
「意義」を感じないもの。
うまくいかないこと。その場合まず工夫する。それでもダメで上記に当てはまればすぐやめる。

 

ということで始めたら何でもやりきらなければならないとまでは思わないけどさ、

「言っちゃうと」それこさ信用に関わるわけだから。

この気配が濃厚なことは不言実行的にやっていくのがいいね。

つまり言動には責任が伴う。

 

でもほんとに辞めたくなったらやめればいいのだ。

 

意味があると思えないのにやったら死ぬだけ。

 

それに実際、

これらのことは「人の目を気にしてやり通す」ってのが本旨ではないのだし。社会的に、そして低次元的にはそういったいわば外交力のような作用も必要だけど、

イチバンは「それが意義がある価値がある好きだから」というのが結局は自分の人生で一番重要なエネルギーだと思うしね。

だからあくまで、

「やり通したらそういった副産物もあるよ」

てな具合いでさらにエネルギーを得られるよねって話でさ。

でも自分自身それが信じられないときもあるから、「人生で2回くらいは無意味な頑張りを達成する」ってのがあってもいいとは思うけど。オレで言えば「3ヶ月聖戦」のときのように。

そうしたらあとはもう自分が意味あると思えることだけやり通せば良くなるしさ。

 

だからほんとに辞めたきゃ辞めるべきだよねまったく。

 

信用のページで最大の大文字が「辞める」というお言葉でした

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