トップバー広告(PC)

TVゲームに対する我が主張論

史上最高のRPGをつくる方法

2013年10月24日

bandicam 2013-11-08 19-35-58-244
 
 
ロールプレイングゲームが
本来向かうべきだった場所へ。
 
 
むらくもです。
 
私はこれから、
 
「ある種のロールプレイングゲームを否定して、 ゲームにとって最も大事なことをお話します。」
 
基本これだけです。
 
人間にとって大事な事とはなにか?
「心臓」?「脳」?「心」?「愛」?
 
ゲームにもあります。そういうモノがね。
そのことをお話したいと思います。
 

「理論」とか「論文」とか聞くと「堅苦しい」とお思いになることでしょう。 しかし私にはそんな堅苦しいモノを生み出す力はないのです。 そんな学は私にはありません。

これは「メッセージ」なのです。

 

そしてこれは評論ではない。

 

これはこうだと考えられるし、こういう風にも取れる。 しかしこれもこうだと言えるし、こうではないかとの見方もある。 だからこういう事も考えておかなくてはならないのでは無かろうか。 ということも無きにしもあらず…よって

 

とか、

 

こんな事は一切言いません。
 
 
 
これは主張論。
 
 
私の主張をしているメッセージ。
 
こうでなくてはならない!
 
れがオモシロイのだ!
 
こうすべきだ!
 
と言わなくてどうするのか。
 
ではみてほしい!!
史上最高のRPGをつくるための
我が主張論を!
 
bandicam 2015-08-31 19-17-32-679
 
ではいきます。
 
※宣誓
・私は各ゲームの細かな不備を執拗に上げ連ねて悪し様に非難するものではない!
 
・私は有名美名を持つゲームを中傷して注目を集めようとするものではない!
 

・私は各開発者の方々を侮辱するものでない! なぜならば、その労苦の一端は承知しているつもりであるから!

・私は多くのゲームの一つ一つに各人が大切な思い出をもつことを承知している!

・私は論理的整合性を満たすためだけに形を整えただけの言挙げは行わない!

・私の言うところとは評論ではなく主張である!

・私は私が定めた立場からこの主張を展開するものである!

・私の立場とは「価値あると思うことを伝える」というものである!

・私はその場合にこそ、あるものを否定する!

・私は正直に明瞭に考えを伝えるために人としてなさねばならないであろう文面上の配慮を排除した! できるだけ「力」をもって伝わるように、伝えたいことだけを表現した! 中には多くを語っている点があるにしろ努めてその様にした。

・私の文面には多くの名文が使用されていることをここに伝えておく!

・私がこれから行う主張と論考は、
20118月及び201310月の2期に亘って著されたものである!

 

 

※読んでもらえるのならば

なに分、長文なものである。 ゆえに軽く一瞥しただけで大体の性格は掴んだなどと思いみなして勝手な思い込みをしないで欲しい。 人間は自分で思っているよりもはるかに至らないものであるから。 そのように驕ってしまってほしくない。このことは私自身も承知している。 だから「理論より、実行力と技術と資金だ。」などという所だけに終始していないでどうか聞き容れて欲しい。 だから是非とも、多くの部分を読んで欲しい。 時間をおいてでも良いし。日をまたいでも良いから。 そしてその場合には、「何を言おうとしているのか」ということをこそ主眼として欲しい。 このようなことを願い出る立場にないことを承知しながら、 それでもお願い申し上げます。 


※私はこの挙に関して

美名を持つ作品を批判する事で注目を浴びようなどと考えるものではないし、 また、そのようにしか見なさない狭隘な輩に対して言を持つ気はない。 また、少なからずいる非難者のように、 根拠も示さずに悪辣で低劣な言を狂発する輩と同一視して欲しくはない。 純粋にゲームプレイヤーとして堂々と批判の立場に立たせていただく。

 

-我が主張-

ゲームにとって一番重大なことは『能動性』である。

それを通じて得られる『体験』である。 この事はクオリティ(完成度)を詰める類の話ではない。 ゲームが唯一の価値を持てるかどうかの話である。

 

【主張】 私の主張は以下の通りである。


①TV ゲームにとって最も重大なことは《能動性》である。

これこそは TV ゲームの最大の特徴であり利点である。 これこそは「面白さ」を差別化しているモノである。

※これによって、ゲームが持っている最大の魅力を明らかにしたい。

 

②RPGを【ゲーム】にしなくてはならない。

今日の日本のほとんどの RPG は TV ゲームではない。ゲームとしての面白さを認められない。その価値を高める為に、往年の名作 RPG は、あるいはそのスタイルはもう貧弱である。進化をしなくてはならない。ドラゴンクエストのバランスは素晴らしい。しかしそれはいわば、「速度が出ていない中での旨いコーナリング」のようなものである。「各要素」は増強を望まれている。そのパワーでバランスを取ってこそ進化である。その為のノウハウが必要である。

※これによって、RPG が持つ魅力を、ゲームとして表現することを目指したい。

 

③RPG で面白いモノが一番面白い。

これに関してはただの心情である。 ただし、本来の姿で作られて進化を果たしたならば。

※私はこれによって、RPG が本来向かうべきだったトコロへ到達することを目指すものである。

つまり 「最近のゲームは見た目だけで自分がやれることがないじゃんこのやろう」 てこと。 よく言われているように。それすらもう古いって?そうであったならばどれほど良かったか。

 
この主張を「ゼノブレイド」というRPGを通して展開したい。
 
なぜならばこのコンテンツが私に決定的な動機をあたえたから。
 
なぜならばまたこのコンテンツが近代最高の評価をもつから。
 
(この主張は2011に始められた)
 
 

-ゼノブレイドに対する批判-

評価が極めて高いゲームであるが批判したいと思う。なぜならば、 私が『RPG』に望む要素が欠落しているからである。

1、『戦略要素』が貧弱に過ぎて『プレイヤーの目的』足りえない。
2、『アイテム』が存在しない為に『計画性』も存在しない。
3、『プレイヤー視点』の導入は『感情移入』を決定的にする。

※私はこのゲームの細かな不備をいちいち挙げ連ねて悪しざまに非難しようとするものではない。 RPG にとって、ゲームにとって、【決定的】と思われる要素について批判したいのである。

PDFアイコン ↓PDFファイルへ(サイト上で開きます ※スマホではDL)
 
ゲームの力を最大に引き出せるものです。
ですが無論のこと無料です。 これは列意です。
これによって作られた面白いRPGがプレイできればよいのだから。
 

※この主張論は2011年に始められた物

プレイヤーの意思は尊重されねばならない。故に反映されねばならない。

そして自らの「判断」や「行動」に対する「関心」や「反応」は、
「プレイヤー視点」を大きく【満足】させる。
こうしてプレイヤーは最早ストーリーに対して無関心ではいられなくなるのである。

訊かれたならば、
決定に際して人は状況を把握しようと務めるものである。
意見を促されることによって「尊重された」と認識し、
それに応えようとして状況を把握しようと務める。
自然な「集中」への流れであり、
自然な「感情移入」ではないか。

しかし大半の物はその要素が余りにもささやかに過ぎると思うのである。

なんといっても重大な決定には一つも関われないのであるから。

ー「我が主張論」より

 
 

「唯一の価値とはいったいなんであるか?」

 

もちろんのことそれが一体どんなものであれ「価値があればよい」のです。それを重々承知の上にて 私は私が大事だと思うことを

 

どうか諸賢に主張させていただきたいのである。

 

スポンサーリンク/記事直下型2連装無職砲

プロフカードぼたん

-TVゲームに対する我が主張論