ニートアカデミア(哲学)

「ありがたいお言葉」が洗脳になるのは元々なにも持ってないアタマにだけ

2017年9月20日

 

教祖様のありがたい自己啓発的なお言葉。

 

最近、そんなお話をブログで綴っているような気がするけれど。つまり「宗教的だ!」みたいに感じるやつ。「宗教」の定義すらまともに持っていない様な輩がよく言うセリフやでこれは。

 

 

 

その色「一色」に塗りつぶされることが「洗脳」

 

すなわち学校教育みたいなやつですけれど。

 

「それ以外の考え方を持たせない」というのが洗脳だ。辞書にどう載っているのかは知らないけれど、それこそが問題だと思われるから「教育」や「感化」などとは区別されるのだろうと思う。

 

学校に行きなさい!それが正義だから!

学校の勉強もできないやつが社会のお役に立てるのか!

 

理由?

 

学校の勉強もできないやつが社会のお役に立てるのか!

 

とかそんなヤツ。理由はないし、有ってもそれ一択で他の考えは聞けない状態。一つの環境で他とは断絶させられて「ひとつの考えを脳みそに塗りたくられていく」状況こそが正に洗脳。

 

逆に言えば、

 

「その他の考えを聞ける状態」にさえあればそれは洗脳には成りえない。

 

 

まあ学校はいいところだけどね基本は。遊べるし。

 

 

 自分のパレットに「足されていく色」というだけ

 

白い絵の具があるパレットに「赤を足すとピンク」になるし「青を足すと水色」になる。

 

もともと人はいろんなバックボーン(背景)を持っているし、創られていく。

 

読んだ漫画や、観た映画やドラマ、プレイしたゲーム、遊んだ経験、考えた経験なんかで千差万別の組み合わせがあることだろう。

 

影響も受けやすいから似たり寄ったりにも成りやすいけれど、厳密にはそれぞれの体験は異なっているんだ。

 

 

 

「同じ話」を聴いたり「同じこと」を見たり「同じ経験」をしたとしても、

 

それぞれの持っている「考え」や「経験」などによって、

 

それぞれの色になる。

 

 

「同じ色を足されても、それぞれの色になっていく」ことが普通。

 

 

染め抜けば洗脳

 

ずっと赤を塗られれば赤になる。

みんな赤になる。

 

ずっと青を塗られれば青になる。

みんな青になる。

 

 

他の色がうまれるはずの「影響される機会」を奪い続ければ続けるほどみんな一色に染まっていくことだろう。

 

 

これが洗脳でしょ。

「それ以外の考えを持たせない持たない」という状態。

 

 

隔離して、隔絶させ、それ以外を聞かせない、やらせない、見させない、考えさせない。

 

 

だからそれ以外は考えなくなる。

考えられなくなる。

 

 

そうなると「依存」するしかない。そして「奴隷」になる。

 

そうなると「依存」するしかなく、それがダメなら全て終わりという軍事学上最も危険な「退路の絶たれた状態」になっていき、

 

行動や活動や戦術や機動が極端に制限される。

 

やがて殲滅に至る。

 

移動手段に「自動車」しか存在しない脳では「電車」を使うことができないし、

 

「飛行機」も「バス」も「自転車」もない。自動車が使えなくなれば移動できないようになる。人によってはそれで仕事もできず、

 

やがて活動力が鈍り、ひきこもる。

 

さらにはそこでの「ネットビジネス」や「働かなくとも自己肯定する考え方」を知らなければ、どんどん活動力は低下していき、

 

やがてはその運動を全て停止させるに至る。

 

 

あらゆることを知って考えて自分で決めたことなら言うことはない。

 

「知って」「考えて」「選んで」「納得」した中での「クルマ以外は使わない」というならば、それはその人の人生なので洗脳がどうとかいう問題じゃないだろう。

 

どんだけクルマ好きなのってだけで。

 

 

!?

「あいつはクルマに魅せられちまったんだよぉ…?」

 

!?

「ハードラックとダンスっちまったんだよぉ…?」

 

 

ってだけで。

 

 

洗脳がイヤなら「色々見聞きして経験すればいい」だけ

『アテナイの学堂』ラファエロ・サンティ

 

洗脳状態も、状況だったり使い方使われ方次第ではプラスの効果を発揮しうるものだろうけれど。それは「毒」と同じで「使い方次第で毒にも薬にもなる」という理屈として。

 

でも実際は、コントロールできないだろうね。

 

これも毒と同じで、シロートがハブの毒をいじったとしても使い方を間違えて死ぬだろうし。しっかり「致死量ギリギリのラインを医学的な知識と経験に基づいて踏んでいって長年積み重ねられた科学を土台としてようやく新薬や用法が認められる」という世界なのだし。

 

だから基本は色々知れるほうが世界は広がって、活動の幅は広がる。

 

「受験勉強」とかするにはある種の隔離洗脳状態は好都合だろうけど、「それから解けた時に迷える子羊続出」理論はここに根拠を持つことが出来るだろう。

 

 

だからむしろそれは「生き方の幅を広げる」こと

 

「人の考え方」や「経験話」や「歴史」や「世界のこと」を知ることは。

 

洗脳とは言っても、「言うことだけやってればよかった」という指針には成り得る分はあって、でもそれから外れると今度は「なにしたら良いかわからない」ということにもなっていく。

 

まさに解放されたときの奴隷みたいな。

 

だからこそまた「何かに飼われに行く」という具合も不思議な事じゃない。「とにかくそれだけやっていればいい」というのは気がラクなことだから。

 

自分もそうだけどね。
自分も「自分で作ったルール」に従っているときが一番気持ちが楽だし。というか何かの奴隷ではあるだろう。「自分の好きに生きたい」というのもそれの奴隷であるところは変わらないだろうし。「自分で作ったから納得する」というだけで。だからこれも毒と同じで使い方次第ってことなんだろう。「自分の好きに生きたい」っていう毒は自分にとってはギリギリを踏んでいけるだけの目的対象だからできること。あとニートで家に恵まれているし。

 

でも飼われないなら、

あるいはその飼い主を探す場合にもまずは行動が必要だろうし、

その場合には「自分で考えて行動していく」しかない。 

 

 

「人の考え方」や「経験話」や「歴史」や「世界のこと」を知ることはそんなとき有効。

 

 

そうして「自分が納得できれば」最後の最後にも人のせいにしなくて済むから。

 

 

自分で考えて行動しないときほど洗脳とかいうことになる。

全て人任せ。

全て人のせい。

 

そういう色の時ってある。

 

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