ニートの生活費 ニートアカデミア(哲学) 無職長征一万光年旅記

【ベーシックインカムの答えはニートにあり】「何をしていないか?」じゃなくて「何ができるか!」で自分を語れよ。

2017年2月22日

 

ベーシックインカムの答えはニートにあり。だってすでにそうなんだし。

 

・「【月6000円でどれだけ生きられるのか?】ニートも遂に『ごはん』が食べられる。(ニートの実家暮らし③)」

 

において遂にご飯が食べられるようになったニートが抱く「生活費への思い」と「人間の価値」についてのスペシャルコンテンツページ、それがニートが考えるベーシックインカム論であります。

 

 

ベーシックインカムとは?『国民皆ニート』

国民最低限度の生活を保障するため、国民一人一人に現金を給付するという政策構想。

「べーシックインカム」Wiki

 

ベーシックインカムってご存知か。

簡単に言えば「国民に最低生活費を全額支給」というシステム。

さらに簡単に言うと、

 

『国民皆ニート』

 

というわけなのである。そんな国民皆兵みたいなね。すべての人がニートになってしまうといった政治システムなのである。

近年議論が発展しているとかいないとか。

 

賛成派は「みんなこれで好きなことができる=世界的競争力のあるオリジナリティ溢れた商品が生まれる」

反対派は「労働意欲がなくなるやん=世界的競争力のあるものが生まれず、あるいはインフラも機能せずで困った世界に&それを担保に借金しまくったバカはどないすんねん」

 

みたいなことなのかな。

ていうか労働意欲って最低生活費に関わることなのか?

という疑問。

 

でもこれって、

共産主義VS資本主義

くらいの

壮大な社会実験レベル

な政治対立なんではないか。

 

そんでここではそういった政治問題レベルのシミュレーションをしようというのではなくて。

 

「さあこれからはみんなニートですよ。」

 

ってなった時にどうなるのかってことなのさ。

 

二ートなき世界。ニート階級がなくなって評価基準が変わっちゃうよ。

ニートが蔑視の対象になるのにはこういったことがある

・自分の食い扶持を自分で稼げない

・それを親に負担させている

・自分一人ではそんな基本的なことすらできない

・ついでに「ひきこもったり何の活動もしなかったりしていて不気味で気持ち悪い」ついでに

※良い点としては/・時間に縛られないからご利用しやすい。・自分のほうがマシだなって精神的優位性を与えてくれる。などだろうか。人から見た場合に。

 

みたいなことであろうか。

とりあえずベーシックインカムが導入されると前半の2条(経済的理由)がみんな一律になるので解消。

 

だから問題になるのはそれによって引き起こされるだろう3、4条目ということになる。

 

つまり

 

金もないし自信もないから非活動的になっていき、引きこもっていき、欲も出ず、目指さず、ついには何の経験もできず、やはり何もできない存在となっていく。

 

それは、

『劣等感や肩身の狭い思いから来る非活動性(ニート化)』

だが、

結果として、

つまり

 

「何もできない存在」

 

ということに当てられる蔑視である。

 

「誰でもできること」をやってるだけじゃ評価されない。

だからベーシックインカムが導入されたらこれからは、

 

誰でもできるコンビニのレジ打ちバイトをしたり(といわれる)

機械ができる仕事をやったり(といわれる)

誰でもできる単純作業をしたり(といわれる)

 

では、

 

だーれも褒めてくれないことに。

 

誰でもできるんなら「お金稼いでるってことのみ」が立派なだけだから。

 

ほらニートをみてご覧よ。

まあ奥さん、うちの子はしっかり働いていて偉いわね。

あんなニートに比べたら立派だわね。

 

でも、ベーシックインカムの世界では生活費を稼ぐ必要はないからね。

 

ニート階級がなくなったら今度の槍玉に挙げられるのは誰でしょう?

 

オレは以上のことは何にもできないからすごいと思うけどね。誰でもできると言われてるけどオレにはぜ~んぜんできないしさ。

「収入がないからそれに引きづられてひきこもりで非活動的になって鬱になって身動き取れなくなってあの“誰でもできる”と言われることすらできなくなる」

という理屈はオレには成り立たないかもしれないけれど。「出来ないしやろうともしないから」って蔑視は依然として私には注がれるけれどもね。

 

しかし一般に次の槍玉に挙げられるのは誰なのか?

 

必ず「いじめの対象」は作られる。

 

誰でもできる低収入仕事の人かな。

 

やっぱり次の最下層は上に挙げたようなそんな低収入の人だろうかね。

それが今現在働いていない人間であるニートに向けられるべき蔑視を一身に受けるのだろうか?

 

まるで「働いていない」かのような目で。

 

「そんなんじゃ働いてるうちに入らんよ」って。なにその額(笑)って。拾ったん?(笑)て。

 

いやニートは働けるのに働いていないし、あまつさえ「働いたら敗け」とまでほざき、家で親のせいにして暴れて、恩知らずだからじゃん。

低収入者はそうなりたくてそうなってるわけじゃないじゃん!

しょうがないじゃん!

 

たしかにそうかもしれんね。だいたい低収入層のほうが国民の大多数にはなるだろうし。自分で自分たちの層を攻撃はしないか。

まあニートも別にそうなりたくてなってるわけでもねえんだけど。

 

でもさ、

かつて高度経済成長期に「とにかく働けばいくらでも稼げた」って時代の“労働の鬼たちであるジャパニーズサラリーマン”はやっぱり低収入をバカにしていたわけでしょ。

それはひきこもり無職ニートみたいな階級がある今現在の状況でもあるだろうけどさ。

 

というより、

それが昂じたのか、

 

低収入というより、

「労働してないやつ」

が問題視されるようになっていってる。

つまりは

「神聖労働観」

である。

 

「神から与えられし聖なる所業をお前は果たさないというのか?」

 

みたいな。

 

「労働時間が長いやつが偉い」とか。

 

「そんなんじゃ働いてるうちに入らんよ」って。なにその時間(笑)って。血反吐はいてないん?(笑)て。血便まだ出てないのお前ぬるすぎ(怒)っていうマゾ世界みたいな。

 

「金を稼いで食い扶持を稼いでいれば何をしていても良い」

となりそうなものだが、

「労働をすること自体が清く正しく美しく人間の素晴らしい徳」

みたいになっていく。

 

これはおかしいか?

ってなれば、

まあそこまではおかしくない。

うん。

 

よくアフィリエイターとかそういった効率重視のビジネスを転がしている界隈ではよく言われる。

それはおかしいと。

「大事なことは労働ではなくてそれから得られる金で、そしてそれを使って楽しく幸せに生きることだ」

と。これはそう思いがちな考え方を一転させるためのわかりやすい起爆剤的な言葉だからええんやけど。

 

しかしそもそもそういった考えが「労働正義」のようにわかりやすくフラッグ化して広まったのも、

やはり労働すればお金が手に入り、人間的な活動ができ、あるいはコミュニケーションが生まれ、体も頭も動かすので良くも悪くも刺激され、なんやかんやと人生が進んでいって、さあお陀仏。

みたいな人生の一大ルートを今まで形成してきただろうから。

それに自分が汗水流して働いているのに、いくら金があるからって横で気楽にワインちゅーちゅーされてバカンスされてたら腹立つもんね。感情的に。

まあ確かにそういった経緯から「労働っていいよねっ!!!!」ってなるのもわかるもん。

だからまあそこまでおかしくもない。

あとは見た目の問題で、頑張ってるやつはなんかカッコイイし健気だし好感度は高めだ。それは人を惹き付けるし良好な人間関係構築にも役立つだろうし。

だからまあそこまでおかしくもない。

そこまでっていうか、

おかしくはない。

 

極論になったらおかしくなるというだけで。なんでも。

 

その価値がイメージとして飛躍的に固着して「神聖労働観」になるという点ではおかしくはないかもしれん。

しかしどう考えても元は「金を稼いで食い扶持を稼いでいれば何をしていても良い」がしっくり来る。

だがそれすら、

つまり「経済的自立の価値」という面で見ても、

ベーシックインカムになると、

 

もう「働いてねえから」って理由は付けられなくなる。

 

「経済的自立論」が大したことなくなる。

だってその理由はまさしくこのベーシックインカムの制度では、

・自分の食い扶持を自分で稼げない

・それを親に負担させている

という点をなくさせてしまうのだから。

 

あとは「+人間として何ができるか?」ってなるわけだから。

 

そしてそうなってしまうとそんなカンタンに判断がつきにくくなる。

上の二点ははっきりとした指標だけど、「どれが人として優れた素質か」みたいな事を言いだしたらもう収拾がつかないわけだよね。文化も価値観も違うのだしさ。

だからおおっぴらにはっきりと理由つけて非難できなくなる。

したとしてもそれはそいつ個人のただのヤッカミみたいなことにされて、わかりやすい旗印のような「働かないものに死を!」みたいなスローガンにはなりにくいってものだもんね。

いやニートは働けるのに働いていないし、あまつさえ「働いたら敗け」とまでほざき、家で親のせいにして暴れて、恩知らずだからじゃん。

低収入者はそうなりたくてそうなってるわけじゃないじゃん!

しょうがないじゃん!

みたいな情状酌量的な理由が常について回るだろうからさ。なんにでも。色々あるんだよみたいな理由が。共感できる理由があればいいんだもんね。

 

ニートに守られていた「今まで。」

色々と言い分を戦わせていたら収拾がつかなくなりそうだし、

段々論法するのも少々面倒なので、

いきなりスパーンと主旨を一刀させていただいちゃうと

 

「“最低限”のハードルが上がる」

 

ということが言いたい。

 

そんで

「さあ、何してもいいこの世界でコイツらは何をやるん?」

ってなる。

仕事で1日の半分以上も埋ってた人生がなくなるわけだからね。

「最低限度の仕事すらしてないやつがいなくなった世界の底辺は誰だ」ってなる。

 

ツイッターのフォロワー数いくつ?

フェイスブックのいいね数いくつ?

ブログのPV数は?

あるいはその際の1ページヴューにおけるクリック率いくつ?

滞在時間いくつ?

直帰率いくつだよ!!!!

 

おめー直帰してんじゃねーよって。

 

そういったことが飛び交う時代になるんですよ恐いね。

オレは何も威張れないわ。

どっちの時代でも。

 

こんなことは今でもあるよ。

 

でもそれよりも低い最低ラインがあるわけで。

 

「働いて食っていけてるだけで立派なもんだ」っていうラインはもうないんだ。

 

今までは「それすらできない」って底辺クソ無職引きこもりニートという層がみんなを守っていたんだよきっと。

 

ニートはみんなを守っていたんだよ(2回)

 

「唇亡びて歯寒し」という格言をおもいだそう。

「沖縄がなくなったら最前線は九州だぞ!!」とも言う格言だよ。

ニート擁護をしたいんじゃないけどさ。

 

収入の差や、

何かのステータスの、

 

最低ラインが

 

かなり引き上がった世界を生きることになるんではないか。

「そんな世界はとうに戦っておるわ!!!!!」

と言うのも事実であろう。

「女のロッカールームは見栄の弾が飛び交う戦場のメリークリスマス」だって聞いたもんね。

でもさらに上がるから。

 

最低ラインが上がるっていうか、

一律になるというか、

 

「“非難できるハードル”が上がる」

 

生活費を稼いでいるってだけで他を簡単には非難できなくなる。

 

自分にブーメランしてくるわけだから。

 

こうして『劣等感や肩身の狭い思いから来る非活動性(ニート化)』は、生活費があってもやってきてみんなを蝕むようになる。

 

「貢献」の量を計ったら自分にダメージ。

いったい人間にとって大事なことってなんだろうか?ってなる。

何がその人の価値になるんだろうか?ってなる。

 

それでも言いたい場合はあとはなに?

「世界に貢献していない。」

とか?

 

しかしそれなら何かしらそいつの出来る限りでやればいいわけでしょ。

 

それこそ税金を多く納めたやつが偉くて(実際偉いと思うけど)、

少ないやつはゴミみたいなこと?

 

このベーシックインカムの制度では、「たとえ大した活動をしていなくてもその額を使用して世界経済に投じることができる」わけだからそれは世界貢献だ。消費者もすごい大事で必要やで。この生産超過な世界では消費されないコンテンツが多すぎるんやからまったく。

 

別にすごいわけでもないから尊敬はされないけどね。

 

しっかしそれこそみんなはどうなんだ?って話になる。

そんなにすごいんか?ってなる。

 

少なくとも

「オレは働いているし自分の食い扶持を自分で稼げているからああよかったニートじゃなかったわー」

という確信は持てず、

 

自分ってそれ以上のことがどれだけできるんか?ってなる。

 

世界貢献論を持ち出してみても、やはり自分たちの優位性を確信するには至らないわけである。

 

同じじゃん。

つまり「すごい結果を出し得なければみんな同じ」じゃん。

人間なんて同じじゃん。

 

という世界の誕生である。

 

「いいや!!もっともっとお国のために世界のためにこの世のために人様のために尽くして尽くして尽くしてこそ立派な人間だ!!!!!!」

 

とか言い出したらやっぱりそれも極論だからおかしなことになるわけでね。極論はやっぱりおかしさの塊で。

 

世界のお役に立つために生きているのだろうか?って。

 

違うじゃん。

 

楽しむためだよね。

 

少なくともオレはそう。

 

そんで自分が楽しめるからこそ、

「ああ自分が楽しめるのもこの世界があるおかげですね」

ってことで感謝するし、

だからこそその中で少しでも貢献しようって、

税金なんかを収めるわけじゃん。

 

オレの場合は「楽しむ」だけど、これは人によって「愛する人のため」だったり、「夢のため」だったり、それぞれ当てはまるわけで。つまり自分の望みが果たされる場所を愛し、感謝するのだ。

 

多く納めている人は別に「多く納める」って納めてるわけじゃなくて(そういう人もいるけど)、多く稼いだ結果に納める額が多くなってるわけだし。

 

自分が楽しめなかったら

「こんなクソな世界滅んじまえ!!!!!」

ってなるよ。

1円も払いたくないし使いたくないよ。

 

「何をしていないか」じゃなくて「何ができるか?」で自分を語れよ。

 

誰でもできるって上に挙げたお仕事があるけどさ、

オレは出来ないんだよ。

 

オレは以上のことは何にもできないからすごいと思うけどね。誰でもできると言われてるけどオレにはぜ~んぜんできないしさ。

「収入がないからそれに引きづられてひきこもりで非活動的になって鬱になって身動き取れなくなってあの“誰でもできる”と言われることすらできなくなる」

という理屈は成り立たないけれど。「出来ないしやろうともしないから」って蔑視は依然として私には注がれるけれどもね。

 

しかしオレにできることで世が出来ないこともあんのよ。

 

「出来ないしやろうともしないから」って思われても、

オレからしたらやれんのよ。

精神的なことなのよ。向いてないもんは向いてないし、やれないもんはやれないのよ。まあやりたくないからやらないでいいんだけどね。

どっちみちベーシックインカムの世界では「ほかに何ができるか?」なんだから。

 

しかし世が出来ないこともオレにはできるのよ。

 

役に立ってるか&どれだけ貢献してるかっていうのが大小の問題でないとしたら、

もはや、

いや、

 

やはりみんな同じになっちゃうのよ。

 

ニートという階級が消滅するのよ。

 

人の痛みには無関心

そのくせ自分のこととなると不安になって人を嫌って

「不幸なのは自分だけだ」って思ったり

与えられないことをただ嘆いて

三歳児のように喚いて

愛という名のおやつを座って待ってるぼくら

アクアタイムズ「♪決意の朝に」

 

ニートだってこんな人間は嫌なのだよ。

 

こういう人間が消滅するんじゃないんだよ。

 

ただ「自分の食い扶持を稼ぐために働いていない」というニートが消滅するんだよ。

 

あとに残るのは「何をやってるのか?」ってことだけなんだよ。

 

「金がないから動けない&肩身が狭いからニート」というのは無くなってしまう。あとはソレ以上の活動をするかどうか。しなければ格差は広がる。経済的にも経験値的にも人生的にも。

 

最後にあるのは「生きがい」のみが人を動かす世界。

 

それはもう自分次第。

 

「生きがい」があれば「最低生活費」が保証されても活動する。

最初は人生の指針が少し狂って戸惑うだろうけど皆が同じになったらそれなりに皆で対応していくだろうし、そしてそうなれば結局なにかしらしていないと生きていけないように出来ているから。ただでさえ活動しなきゃいけないラインになっていくわけでしょ。自尊心の最低ラインが。だから皆必然的にそうなるじゃん。

 

そして「何をしていないか」じゃなくて「何ができるか」の世界を生きるのだ。

 

まあ「その中でも優劣ついちゃって身動き取りにくくなるやつ」が生まれますけどやっぱり。そんで「活動もしていないのか」って。そんでその階級が新たに生まれてすなわち「ニート」になるのかもしれないけどね。

ニートは必ず生まれるのか。

 

でも正直言って「活動もしていない」ならオレ自身それは支持できないから言えることがない。一時的な状態は別として。

 

ここで言ってるのは「活動してる」ってだけでOKやないのってこと。

 

自分で自分をそれだけで肯定していけるやない。

自発的に好きなことだけして生きていけるやない。

生活費はあるんだから。

それでその自分の活動が評価されなくても別にいいやない。

引きこもればいいやない。

嫌なことして無理に人に愛想笑いして無理に印象良くして外に出稼ぎに出なくてもええんやから。

自分のその活動を評価してくれる人(世界)とだけ付き合えばいいやない。

いないならそれでええやない。

生活費はあるんだから。

自発的に好きなことだけして生きていけるやない。

…以下無限ループ

って話だから。

 

「なにができる人なのか?」という世界。

 

中卒高卒大卒、無職有職、年収200万300万600万1000万、イケメンイケジョ、…

 

こんな「物差し」しか持っていない発想の貧困な世界観では生きていけないよ。

 

最低生活費があろうとニートは活動する。

 

だからベーシックインカムで最低生活費が保証されようと、

ニートですら活動している以上は、

「働くヤツ」や「生み出すヤツ」は居る。

 

そして、

 

無理に嫌々働くやつが居なくなるから、

働く現場が非常にいい雰囲気になって効率も上がるし、

好きなことだけやってるから創造力が刺激されて、

世界と競争できるだけのアイデアがバンバン出る。

結果、稼げる職が増える。

よって世界発展。

 

すでにベーシックインカム状態であるニートを見ればこういうことなわけですよ。

自然界にすでに居たというわけですよ。

だいぶメルヘンな見通しですけれどね。

 

ニートが生み出しているものが世界的競争力のある価値まで到達しているとは言い難いわけですけれどね。

 

ええやないか別にどっちみちそういうのは天才しか無理なんや。

 

そんなもんは天才がやるもんなんだよ気をつけろよまったく。

 

そういうやつに生活費がどうたら言うてることも意味ないんやまったく目覚めよ。

でも天才の開いた道に追随しやすいのは奴隷なのかもしれないね。

そういった意味では、その天才が覇王級程度の天才なら中華思想にある「奴隷とともにイケば覇王になる」にはなりそう。

つまり生活費を人質に取られてるやつのほうが動かしやすいから嫌な仕事(でも必要)もやらせることが出来て何かと便利みたいな。

未来的にはそういったことはロボットがやるようになるとは言うが。

産業革命期に一回機械が人の仕事を奪ったけど。

ソレは結局、人がうみだす新たな価値やサービスには追い付けず、結局は人がやる作業が新たに増えていったけど、

でもソレこそは人の活発な創造力こそが生み出すんではないか。

しかし「友とともに歩めば王者となる」とあり、さらには「師とともに歩めば聖王になる」というから志の高い人達で、やる気のある人達で、好きな者同士でやっていくほうがいいんじゃないかとは言えるかな。

つまりベーシックインカム面白いじゃんということで。

一応こういう長文を書く場合は最後に超わかりやすい結論書いとかにゃあイケねえなと思うわけでね。でもこれコラムみたいなもんだから内容の一字一句のほうが大事なんやけどさ。結論はたいして目新しいもんでもないし。普通に言われてることのひとつだよ。オレもそれに一票というだけ。

 

実致されるかどうかはどうでもいいんだけどね。

 

だってオレの家はもうベーシックインカムなんだし。

 

ニートだから。

 

大学の研究機関、メディア、プレスの方々からの取材はいくらでもお受けさせていただきますよまったく。研究論文や何かにお役立ててくださいねまったく。ニート歴10年の大物ですよまったく。

 

しかし

「ニートでも活動する」とは言ってもニートは好きなことしかしないから、

今現在多くの労働力を必要としているお仕事には役に立たない。

ということはある。

 

うん。

まあそういったことはベーシックインカムの世界ではロボットにやってもらうということで。

うん。

そのロボットの大量生産の部品は誰がつくるんじゃっていうのもあるけれど。

そんでそのロボットが「自分たちにばかり嫌な仕事を押し付けるな」的に反抗するとか。

 

(笑)

 

めんどう(笑)

 

だから実際は自分がやらない&出来ないことをやってくれている人たちを尊重しあって感謝せねばならんというわけですよそういった記事ですよこれは。

 

100年後、人類は歴史上初めて余暇をどう楽しむか悩むようになる。

「孫の世代の経済的可能性(1930)」ジョン・メイナード・ケインズ

 

【ニートからの生活費】シリーズ本編「月いくらで暮らせるのかな?生きているといえるのかな?」

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フライングなニートマンの著作書籍

 

★ニートの自伝

 

13歳の少年労働兵

「不登校×少年労働」編

愚か者の人生戦記第1弾は「生まれてから13歳で少年労働兵と成ってご活躍される」までのお話。既に中年サラリーマンの如き「労働と報酬の日々」を過ごしたひとの末路へつづく。

 

やることない体験記

「ニート×無目標」編

愚か者の人生戦記第2弾は「ニート化成った18歳から21歳までのやることがなかった」ころのお話。「仕事がなくなると人は一体何をするのだろうか?」という実験データに近いモノあり。

その後もニートだし今も半ニートなんだけどね

 

★「もしも働いていたなら?」ロールプレイングストーリー

 

シャケ弁労働者した元ニートの話

「もしも、ふつうに働いていたら?」

なシミュレーション。「シャケ弁食って働いて妹たちとゲームでもしているっていうのも良いのかもなあ」の未来を想った。

 

フェアレディZで通勤したキノコ工場で正社員してやることなくなった話

「もしも、そこからさらに正社員で働いていたら?」

なシミュレーション。「結局なにすれば満足なのコイツは」的な叙事詩が紡がれた。ある意味人間失格。

 

31歳までフリーターして落ち武者した話

「もしも、ならばフリーターしながら好きなことを目指していたならば?」

なシミュレーション。今に一番近いスタイルではあったけれども。

 

不登校から復帰して労働徴兵されるまで大学に隠れた話

「もしも、ふつうに学校へ行っていたならば?」

なシミュレーション。もうそこまで遡って人生を最スタートさせてみても結局のところ結末は同じだったというオチ。学校へ行く意味を分解してみたやつ。意外と一番のお気に入りコンテンツに。「労働戦士恐るべし。労働徴兵許すまじ。」

 

 

プロフカードぼたん

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