ドゥラメンテ号とアドマイヤグルーヴ号の追いかけ記録(競馬)

三冠馬とは?それは聖火のごとくに受け継がれてきたもの。-ドゥラメンテへ-

2015年7月1日

三冠馬 
日本クラシック三冠とは一体なんなのであろうか。
 
三冠馬とは?
 
一言で言うなら「伝統」
 
或いは「究極のサラブレッド」か。
 
しかし結局それだけでは何もわからないぞ。
 
では、
 
 
一言でなければ何なのか。
 
 

究極の七頭
-歴代三冠馬一覧-

1941年

 
日本は真珠湾攻撃により 『太平洋戦争』へと突入していく時代だった。
 

「三冠馬」セントライト

 
「”世界”の実現。」
 
本場英国の権威あるクラシック三冠をいわば真似する形で三つの栄光を導入し日本競馬の興隆を願った。 それ等は程なくしてセントライトによって納められる。 改定前の規定ならば登録を認められないほどの「大柄な黒い牛のよう」と評される巨躯。三冠の内二つを雨に見舞われたレースを制する強さ。強い強い名馬。優駿。それだけでは言い表せない栄光。「三冠馬」の誕生。それは日本の競馬を世界の競馬に、そして目標としていた姿の実現であったかもしれない。

戦績
「JRA 時代を駆け抜けた名馬たち。 セントライト」
「20世紀の名馬100 セントライト」

 

1964年

 
終戦後『東京オリンピック』が開催された。

あとはカルビーが「かっぱえびせん」を発売。

「ナタの切れ味」シンザン

 
「最強戦士の伝説。」
 
今なお続く日本競馬史上最多記録、「生涯19連対」。19戦して2着以下を踏んだことがないナタの切れ味。 戦後初、セントライト以来23年ぶりの三冠馬がここに再び誕生した。 強力な後ろ脚と腰の強靭さは有名で、2本脚で立ったまま50メートルを「歩いた」という。 そんな列脚に裏打ちされた走法の為に「シンザン鉄」と呼ばれる特注の蹄鉄で脚を保護し、またその重い馬具で鍛えるところなどは昭和の味わいを思わせてくれる。 「シンザンを超えろ!」 敗戦から立ち上がり未来を目指す日本。 同様に前を向き歩いて行こうとする新たなる馬産界の指標となった。


戦績

「JRA 時代を駆け抜けた名馬たち。 シンザン」
「20世紀の名馬100 シンザン」

 

1983年

 
任天堂が「ファミリーコンピュータ」を発売。着々と経済成長を遂げて復興を果たした日本。あとはロッテが「チョコパイ」を発売。「半生ケーキ」という新ジャンルを確立。
 

「天馬二世」ミスターシービー

 
「シービーはどこだ!?」
 
最もドラマチックな三冠馬とされるアイドルホース。 日本の馬産の成長は著しく、近代スピード競馬の浪が押し寄せていた熱い時代。 最後方から直線一気の末脚で三つの栄冠を納めてしまった豪脚の持ち主がいた。圧倒的な強さというよりはハラハラドキドキさせるレースで愛され、 一つ下の三冠馬に「挑み」続けるという新たなヒーロー像を産む。 決定的なまでのスタート下手、馬群での消耗など多くの欠点を抱えながらも、馬は持てる一つの武器にすべてを託し、競走馬としての道を人馬一体となって追う渾身の直線一気に人々は釘付けとなった。 「シービーが来た!!!!」 父は競馬人気の一時代を築いた一頭「天馬」トウショウボーイ。ゆえに人は彼を天馬二世と愛した。

戦績
「JRA 時代を駆け抜けた名馬たち。 ミスターシービー」
「ミスターシービー競走馬データ」
エピソード
「―三冠馬の栄光と挫折 ミスターシービー本紀」
紹介動画
「20世紀の名馬100 ミスターシービー」
「The WINNER 2012年 JRA CM 菊花賞 ミスターシービー」

 

1984年

 
米アップルコンピュータがマッキントッシュを発売。
なんだろこれ。

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「皇帝」シンボリルドルフ

 
「選ぶとかどうとかいう次元じゃない。問題なくシンボリルドルフ。」
 
当時多くの有力馬に跨がりながらも一冠目の皐月賞で放ったトップジョッキーの言葉。好位置から計ったように抜け出して冷徹なまでの強さで押し切って勝つ。 神聖ローマ帝国の皇帝位を300年間保持し続けたハプスブルク家開祖ルドルフ一世にちなんで付けられたために、 後に「皇帝」と形容されその名のごとく絶大な権力でターフに君臨し、積み上げたG1は7つ。現在でもJRA最多G1勝利数である。 未だ日本と世界の馬産レベルの差が嘆かれていた時代、近代スピード競馬の幕が上がったばかりの日本、 そんな間の時代に三冠馬となったシンボリルドルフという期待。 「その秋、日本は世界に届いていた。」

戦績
「JRA 時代を駆け抜けた名馬たち。 シンボリルドルフ」
「シンボリルドルフ競走馬データ」
エピソード
「―皇帝の時代 シンボリルドルフ本紀」
紹介動画
「20世紀の名馬100 シンボリルドルフ」
「2013年 ジャパンカップ THE LEGEND JRA CM 30秒ver シンボリルドルフ」

 

1994年

 
次世代ゲーム機戦争が熾烈化。 セガより『セガサターン』SCEより『PlayStation』が発売。
 
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「シャドーロールの怪物」ナリタブライアン

 
「2着でしょうがない。」
 
今や競馬界の最大功労者の1人とも言われ、騎手リーディングを18回獲った天才がこの馬には勝てる気がしなかったと言った。 相手に4つ5つの不利があり、こっちが最高の騎乗をしても勝てる確率がないと言った。それ程に3歳時のナリタブライアンの強さはある意味レースを壊していた。 「あの馬の強さは桁違い」「大人と子供の戦い」「この馬だけ別次元」 歴代最強馬の中に必ず名前が挙がり、 ナリタブライアンのレースを直に観た者たちは口々に「最強はナリタブライアン」と疑わない。元々並の成績の馬が、「自分の影に怯えている様だ」と白いシャドーロールを巻いたところ怪物へと変貌した。 アレクサンドロス大王の愛馬ブケパロスと同じエピソードを持った不世出の名馬であった。

戦績
「JRA 時代を駆け抜けた名馬たち。 ナリタブライアン」
「ナリタブライアン 競走馬データ」
エピソード
「―孤高すぎた王者 ナリタブライアン本紀」
紹介動画
「20世紀の名馬100 ナリタブライアン」
「2011年JRA CM 菊花賞 ナリタブライアン」

 

2005年

 
『宇宙太陽光発電衛星第一号』が打ち上げられる。 
 
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※ガンダムではそういう予定だった。
ガンダムではね。
 

「英雄」ディープインパクト

 
「日本近代競馬の結晶」
 
衝撃の走りで社会現象を引き起こした無敗の三冠馬。 経済波及効果は250億を超えているともされ、払い戻されなかった当たり馬券が1万円以上で取引されたといい、 世界の頂点「凱旋門賞」へ挑戦した際のテレビ視聴率は瞬間最高で28・5%(関西)を記録したという。 その次元違いな走りは最早研究対象として注目される。 競馬界を社会現象として盛り上げ、馬産界においてもすでに多くの名馬を輩出して大種牡馬になりつつあり、競馬界にとっての英雄と呼ぶに相応しい運命的優駿であった。 「走ってるっていうより飛んでいる」「これ以上強い馬がいるのかな」 生涯で主戦騎手を務めた武豊騎手は自然にそう感じたという。


戦績

「ディープインパクト競走馬データ」
レース
「ディープインパクト全レース 武豊」
エピソード
「ディープインパクト 「ターフを駆け巡る衝撃 」」
「The LEGEND 2013年 JRA CM 天皇賞(春) ディープインパクト」

 

2011年

 
『東日本大震災』が発生。 日本は未曾有の大災害に直面した。
 

「暴君」オルフェーブル

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「こんな三冠馬は初めてです。」
 
競走成績、暴走レース、騎手嫌いと全てが規格外の走りでファンを惹き付けた。 震災のため伝統の中山ではない東京開催の皐月賞を制し、大荒れの東京でもダービーを掴んだものの、 「中山の皐月を勝っていない」「連敗や10着大敗のある馬」「世代が弱いだけ」と軽視された。 全兄のG1馬を持つために与えられるハードルは高かったものの、それ等をがむしゃらに飛び越え泥まみれで達成した三冠。 騎手と共に成長を遂げ、遂には競馬界の頂点「凱旋門賞馬」の栄光に限り無く迫ること2回。 「現在2400メートルで世界最強」とまで評される。 それは現在最も記憶に新しい三冠。それはもっとも愛らしい三冠。


戦績

「オルフェーブル競走馬データ」
レース
「オルフェーヴル 三冠達成」
エピソード
「震災の年に勇気をくれた馬、オルフェーヴルのエピソードまとめ」
「暴走 2012 第60回 阪神大賞典」

 
 
 
「戻るんかい。」by鞍上・池添謙一
 

「CM JRA The GI story 有馬記念篇 」

 
 
 
7頭の三冠馬が生まれる中では
 
本当に様々なことが日本にはあったんだね。
 
半生ケーキとかね。
 
 
 

クラシック三冠

 
トリプルクラウン-Triple Crown-(三冠)
 
競走馬の成長にしたがって異なる距離で行われる「三冠」戦を勝ち抜くことは、 それ自体が能力の証であり、 高い価値を有するとみなされてきた。

「三冠馬とは」
「世界歴代三冠馬」

 

若駒たちの晴れ舞台。

「最も速い馬が勝つ」といわれ、4月末に3歳限定芝2000㍍の中距離で開催される三冠競争第一冠目。 一着賞金9700万(2015年現在)1939年に英国の『2000ギニー』をモデルとして『横濱農林省賞典四歳呼馬』が開催されたのが始まり。 現在世界で最も重視され、多くの馬の適性距離でもある激戦のミドルディスタンスにおいて、 良質なスピードと全体のレースセンスが問われる。「JRA2015年度皐月賞」

競馬の祭典。

「最も幸運に恵まれた馬が勝つ」といわれ、5月末に3歳限定芝2400㍍のチャンピオンコースで行われるホースマンの栄誉。 一着賞金2億円(2015年現在)1932年英国の『ダービーステークス』をモデルとして『東京優駿大競争』が開催されたのが始まり。 世界最強馬を決める大レースのスタンダードである、最も権威と格式を持つ王者たちの距離でその歳の頂点を決める。 「JRA2015年度日本ダービー」

長距離で世代決着戦。

「最も強い馬が勝つ」といわれ、10月半ばに3歳限定芝3000㍍の長距離で開催される最期にて最難の一冠。 一着賞金1億2000万(2015年現在)1938年英国最古『セントレジャーステークス』をモデルとして『京都農林省賞典四歳呼馬』が開催されたのが始まり。 近代競馬の起原とも言える三千の距離で、そして今日では一流ステイヤー決める三千の距離で、 最期の三冠戦としてトップを決める。

 

兎にも角にもこの三つをすべて獲らなければ三冠馬には成れない。

なんでそんなことになったんだろう?

そんな面倒なことに。

 

「馬」

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「馬」自体は人類の移動手段として発展を共にしてきた動物であり、 サラブレッド(競争馬)の祖とも言えるアラブ種は西方文明の発展とともにアラビアから渡っていく。
 
 
東の中華では「一日千里を走る汗血馬」として権力者たちの求めるところともなった。
※勿論のこと諸説あり、これは一説。

 

西方文明の興隆

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ヨーロッパにおいても馬産は主要事であるため発展した。 鈍く光るプレートアーマーに荘厳な装具を纏い、 勇壮に馬にまたがって威並ぶ「騎士」の姿は中世ヨーロッパの花型であった。 必然的に愛馬を競わせる催しが開かれ、興隆する。

 

1776年=近代競馬

※画はダービー
英国では多くの競争が展開していた。
 
ある時期に一際注目されるレースがあった。 そこでは今までの多くの競争で行われていたような、 5,6歳の成熟馬によって9000メートルものレースを同じ馬たちで何度も走って勝敗を決めるものではなく、
 
3歳程の若馬達による3000メートル程度の距離を一走して勝負を決めるというものであったという。
 
それこそは今日にも残る『セントレジャーステークス』であった。※画はダービー
 

その様にしてやがて注目され、

自慢の馬たちが多く集い、

重ねられていくレースが生まれていく。

『オークスステークス』(3歳牝馬)
『ダービーステークス』(3歳牡馬)
『2000ギニー』(3歳牡馬)
『1000ギニー』(3歳牝馬)

などはセントレジャーと合わせていつしか5大レースと目されるようになる。

これらは後にクラシック5戦となる。
※オークス・ダービーはいずれもダービー伯爵等が自身の馬たちを競争させることに始まった。
※ギニーというのはかつて存在していた英国の金貨の名称で、数字と合わせて賞金を意味するレース名である。

 

つまり元々考えられて創設されたわけではなくて、

自然と大きなレースとなったものを制した馬が、 いつしか三冠馬と讃えられる様になったようだ。

何にせよこれが本家英国の三冠。 ※3歳牡馬限定を2つ、3歳牝馬限定を2つ、 そしてセントレジャーステークスを制することでそれぞれ三冠及び牝馬三冠。

 

クラシック

クラシックとは、「古典」との意。格式のある、長く時代を越えて規範とすべきもの。

音楽の世界では「クラシック音楽」とか言い、わざわざ現代ジャンルとは分けて扱う。 芸術や文学の世界でも「古典主義」などと言ってやはり類別する。

それは1つにはその時代の象徴的なものだからではないか。

或いはまた象徴するものだからではないか。 その時代特有の価値観、運動、意識、議題、様々な世相や文化が集約されているから。 それ等があって、今へと続いていく。 多くの者達がそれを表現し、工夫し、研鑽してきた。

「形」は違っても、そこにいた「人間」は変わらない。

そこにいた人間たちの挑戦や工夫の精神はまさしく時代を超えて規範とすべきもの。 そんな価値だとも言えるかもね。クラシックというものは。

ほらオレ歴史好きだから。

(▽Д▼@ )

 

難易度

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それでは三冠を達成するのはどれほど困難なのだろうか。普通に考えても競争力の高い栄冠を三つ勝つということでも困難な事である。

スペシャリストたち

 
例えば野球の世界においても 三冠と呼ばれるものがある。
 
『打者三冠王』 とか 『投手三冠王』と呼ぶ栄冠。
※勿論の事この場合も選手タイトル一つ一つを1冠とするのだが、 中でも主要なタイトルの3つを重要視した結果の呼称と思われる。



同一シーズンにおける三つの主要タイトルを獲ることで三冠王と呼ばれる。打者なら打率王(首位打者)、打点王、本塁打王を獲得した選手は04年の松中信彦が最も新しい。それ以前となると86年の落合博満、ランディバースがそれぞれのリーグで生まれるという奇跡のみ。

それはそれぞれがスペシャリストの分野だからではないか。

日本世界問わず最も有名な野球選手の1人といえるイチローも三冠王には成っていない。

 
よく打つバッターの為に打率王は本領であるが、特に観客席にまで剛球を飛ばし返す膂力を必要とするホームラン数を要求される本塁打王は射程外だ。※95年にイチローは日本の打者タイトル5つ獲得したが本塁打王のみ穫れなかった。



ゴジラの愛称で親しまれた日本屈指のパワースラッガー松井秀喜も三冠王には成っていない。

 
パワーの要求される本塁打、そして自身のヒットにより点を入れる打点はよく収め、ヒット数を主要事とする打率も相当優秀であった。 しかしそれ以上のアベレージヒッター(打率の良い打者)が居るために遂に三冠王に届かなかった。
 



マニアックな例えだね。

うん。 じゃあ、

 
当代一の人気役者小栗旬と、
「八代将軍吉宗」徳川宗翰 役 「GTO」吉川のぼる 役 「ごくせん」内山晴彦 役 「花より男子」花沢類 役 「クローズZERO」主演 滝谷源治 役 「岳-ガク-」主演 島崎三歩 役 「ルパン三世」主演 ルパン三世 役 「信長協奏曲」主演 織田信長 / 明智光秀(二役) 役
 
 
日本映画界を代表するヒットメーカー・ 山崎貴と、
代表作 「ALWAYS 三丁目の夕日」 「永遠の0」 「STAND BY ME ドラえもん」 「寄生獣」

 

 
ドイツ統一という空前の大業を成し遂げた鉄血宰相・ ビスマルク
※プロイセン王国首相兼外相 ※ドイツ帝国初代首相 「wiki/オットー・フォン・ビスマルク」

 

 

1人の人間が兼ねるようなもの。

 

と言えばいいだろうか。 かなり大げさであるけれども。 言いたいことの視点を分かり易くするために誇張が過ぎるのは否めないところであるれども。

 

小栗旬とビスマルク?

 

ともあれ、

 

「異なった三つの頂点を極める」

 

というのはまさしく困難で、あたかも法外な重量を背負ってその重心を失わまいと務めるが如くだよね。

難しいってこと。

 

英国のクラシック三冠馬 -もう半世紀近く現われず-

本場英国の牡馬クラシック三冠馬は、 1970年にニジンスキーが無敗で達成して以来今日に至るまで顕れていない。

 
勿論ニジンスキーという大名馬は競馬史上最強馬に名前を挙げられるうちの一頭。 デュハーストステークスで2歳王者になり、 2000ギニー、ダービーステークス、セントレジャーステークスまでを無敗で駆け抜け、 現役最強馬決定レースの1つであるキングジョージⅥ世&クイーンエリザベスステークスも制した競馬界の宝。 しかし、 それ以来牡馬クラシック三冠馬は存在しないのである。

 

アメリカの三冠馬 -37年ぶりにようやく-

片や主流コースがダート(砂)で行われるアメリカ競馬の三冠馬はなんと、 2015年度にアメリカンファラオが37年ぶりの三冠馬となった。 

 
アメリカの三冠は英国や日本と違って短期決戦である。近い日数で3つの栄冠を全て勝ち取らねばならない。 一見すると調子の良い状態で3つとも迎えられるのだから都合が良いようにも思える。 が、 その壁に37年間、最も競馬が進化をしていた時代の37年間、「三冠馬」の出現だけは止まっていたのである。 やはり疲労があり、何より最後の一冠『ベルモントステークス』は砂地の競争においては長距離となる2400メートルの死戦。 ※砂地は芝地よりも深みに沈むために力を要し筋力の消耗が激しいため距離が短いのが通例。 ほぼ確実に未経験である茫漠とした距離を走る栄光の3歳2冠馬達の挑戦をことごとく呑み込んできた。
 
 
 

伝統

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「伝統」というものを説明できる人もそう居ないと思われるある種謎な言葉。 もっと正しく言えば「その価値」。

よくゲームや漫画では「伝統がなんだ!」といったようにそれまでの常識を主人公特有のパワーでいともたやすく破ってみせたり、 常識となった伝統に犠牲に捧げられるヒロインをこれまたいとも簡単に助け出す。

「伝統がなんだ!お前はお前だ!」

そんなものを観たり聞いたりしていると、その「常識や伝統」とやらには全く価値が無くてただ重いだけの存在のように感じてしまう。 あまりにも簡単に軽んじられるものだから。 まるで主人公以外の人間はあまりにもバカで主人公の視点が天才過ぎるが如く。

しかし実際には、 常識や伝統というものはとてつもなく巨大なのだ。 自分の所属する世界、 学校や職場の価値観に異を唱えることがどれだけ無謀かを思い致すだけで理解できると思うけど。

良くも悪くもとにかく大きい。

現実では。 良くも悪くも。

 

三冠の価値 - 本場英国では堕ち、米国では走れない -

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本場英国(或いは欧州)ではクラシック三冠の価値は激減している。

最も古いセントレジャーステークスの価値が落ちているのである。 まず近代スピード競馬と呼ばれる時代によって競走馬の距離適性が分けられ、 それらは特に中距離を主戦場にしていること。

そして同じ時期である秋には凱旋門賞というビッグレースが存在することなどが挙げられる。

つまり

 

「長距離G1なんて獲っても種牡馬として売りにならないし、 凱旋門賞に勝ちたい。」

 

というような事になっている為、 そもそも挑戦馬が非常に少ないのだ。 (居るには居たがやはりそもそも3つ勝つのはハードルも高い)

故に「クラシック三冠」の存在価値は形骸化している。 セントレジャーではなく、エクリプスステークスを三冠にしてしまおうか等という話まであった。 つまり三冠馬という名前はそれなりな価値があるから、 もっと挑戦なり達成なりする余地を持たせるために別の競争をそれっぽくしちゃおうということか。

 

つまり価値が低くなってきた。アメリカの三冠は同期間に立て続けに開催されるために、3歳馬はとりあえずそのレースを目指す。

 

それだけに参加率も高いのだが、 それでも37年間三冠馬が出なかったのは驚きもあり、また納得もするのだ。三冠は難しい。

アメリカ三冠レースはたった5週間の内に3つとも開催される鬼のようなキャンペーン。

三冠はもとより三つともを走る馬がいればそれだけで賞賛されるタフ過ぎるレース群なのだ。

つまり走ることすら難しい。

 

日本の三冠は今なお尊重されている。

 

欧州は英国、仏国、愛国、独国、伊国が競馬を開催し、多くのレースがある。 とりわけ競争力の高い近中距離戦も多い。選ぶレースが豊富である。 日本は島国で、 海外輸送には多大の労力と疲労が伴うため必然的にその殆どは国内戦。

ガラパゴス化といえば今風かもしれない。 ※他と隔絶した環境下で独自の生態系を持つガラパゴス諸島になぞらえて、 グローバル化の流れの中でもやはり独自な文化を持つ日本の特徴をそう呼ぶとか。

そのために3歳の若駒たちが目指す大舞台は、

 

おとこ馬(牡馬)なら皐月賞、日本ダービー、菊花賞の三つが当然になる。

 

後にNHKマイルカップという短距離戦も整備されたが、 何にせよそれらを外せば、あとは成熟した歴戦の古馬を相手取るしかなくなるのだから。

100年を越える歴史を持つ古馬戦の最高峰が一つ『天皇賞秋』を3歳馬が勝ったのは1996年が初。 世界では近代スピード競馬が疎外した長距離G1菊花賞も、その勝ち馬からの出世も多い。 春のクラシック戦線を戦った馬たちが夏の休暇にある頃、 デビューや仕上がりの遅くなった馬たちが夏を走り、最大目標とするG1でもある。

それだからか、

日本のクラシック競争は三つとも未だ目標であり得るといえるね。

 

春クラシック二冠馬の道 

1941年セントライト三冠達成
「クモノハナ」1950年 菊花賞2着
「トキノミノル」1951年 破傷風により菊花賞前に死去
「クリノハナ」1952年 故障で不出走
「ボストニアン」1953年 菊花賞2着
「コダマ」1960年 菊花賞5着
「メイズイ」1963年 菊花賞6着
1964年シンザン三冠達成
「タニノムーティエ」1970年 菊花賞11着
「ヒカルイマイ」1971年 屈腱炎で不出走
「カブラヤオー」1975年 屈腱炎で不出走
「カツトップエース」1981年 屈腱炎で不出走
1983年ミスターシービー三冠達成
1984年シンボリルドルフ無敗三冠達成

「トウカイテイオー」1991年 骨折で不出走
「ミホノブルボン」1992年 菊花賞2着
1994年ナリタブライアン三冠達成
「サニーブライアン」1997年 骨折で不出走
「ネオユニヴァース」2003年 菊花賞3着
2005年ディープインパクト無敗三冠達成
「メイショウサムソン」2006年 菊花賞4着
2011年オルフェーヴル三冠達成
「ドゥラメンテ」2015年 その行く先やいかに……。

 

まずこれだけの春二冠馬が居て、「こんなに居るのか」というより、

「これほど達成できなかったのか」

というところ。

とにかく故障による不出走、

そして敗けてしまう壁。

 

ガラスの脚

 
ひたすら速く走ることだけに特化してきたサラブレッドの脚は脆い。「ガラスの脚」と呼ばれるほど。 多くの競走馬がそれによって競争生命を絶たれてきた。 春にクラシック二冠を制した優駿たちにもそれは襲いかかり、見て分かる通りその数は多い。 三冠達成には丈夫さや運、 そしてもちろん管理する調教師や厩務員、調教助手、騎手達の管理能力なども試されるのだろう。



トウカイテイオーは無敗の2冠を達成して王手をかけたが、 骨折により菊花賞へは走ることすら出来なかった一頭。

 
無敗の三冠馬シンボリルドルフを父に持ち、前代未聞の親子無敗の三冠という偉業の真っ最中でのことであった。 テイオーは競争生涯で4度の骨折に見舞われ、その度にターフへ何度も舞い戻りG1を制した。
 



何にせよ故障や不出走にも一頭一頭のドラマがある。

 

距離適性

 
競馬は何が起こるかわからないのだから、展開次第でいくらでも勝ち負けはする。 三冠競争はそうしたトップレベルでの闘争に3度続けて勝利しなければならない。 たとえスタミナ不足で距離が長いと思われようとも。
 

ミホノブルボンはスタートからゴールまでを 常に先頭で駆け抜けた超特急のスピードホースだった。

 
鍛えに鍛えたサイボーグのような鋼の筋肉を身に纏い圧倒的な速さで押しきって無敗で二冠を制するも、 菊花賞では後に長距離で無類の強さを発揮するライスシャワーの2着に終わった。
 
「ブルボンは本来スプリンター」
 
と管理調教師も評し、常に距離不安が問題視される中で未知の距離に挑み続けた。
 
「此処からはブルボン、未知の世界!!!!」
 
しかし実際、菊花賞も名ステイヤーに次ぐ2着であり、実際距離不安があったのかは定かではない。



ネオユニヴァースは若き日の鞍上ミルコ・デムーロに導かれて 21世紀最初の三冠挑戦馬となった。

 
日本競馬界を席巻した大種牡馬サンデーサイレンスがようやく送り出した皐月、ダービーのクラシック二冠馬。 父を見ればサンデーサイレンスで不安はないが、母系はややスピード系であった。 結果は菊花賞3着と敗れ、やはり距離不安も囁かれた。
 



何にせよどんな敗戦にも一つ一つのドラマがある。

 

春二冠馬が生まれる時、距離不安が話題となるのは近代になってからだろうか。 スピード競馬によって磨かれた速さは、ステイヤーたちのそれをいつも中距離では突き放してきた故に。 「長距離で勝てるんだろうか?もうそんな風に作られてはいないのに…。」

 

しかし、

 

『短・中・長のすべての舞台を勝ってこそ究極のサラブレッド。』

 

それが最初に三冠が持たせられた本来の意義。

 

ゲームとは違うのだから全てが一発勝負。 距離適性など全てのことは分からないし、他の路線を行けばよかったかもしれない。

 

その暗闇の中で、である。

 

二冠を達成した馬たちは全て、

クラシックロードを歩いたし、

また歩こうとしたのだった。

 

引用

『全て遠き理想郷』

デムーロ騎手の母国であるイタリアにも、 かつてはイタリア2000ギニー、イタリアダービー、イタリアセントレジャーからなる「イタリア三冠」が存在し、 Niccolo dell'Arca(1941年)、Botticelli(1954年)の2頭が完全制覇を果たして三冠馬となっている。 しかし、世界的な三冠体系の衰退のあおりでイタリアでもこの概念は形骸化し、 ついに1996年にはイタリアセントレジャーが廃止され、イタリア三冠自体が消滅してしまった。

略ー

あまりに困難なるがゆえに、 本場では誰もがあきらめ、 忘れ去り、 そして本当に失われつつあるサラブレッドの究極形。

略ー

『後生へ伝えること』

だが、私たちは忘れてはならない。 新世紀の競馬界に初めてクラシック三冠という王道を甦らせ、 私たちにクラシック三冠の意義を再認識させたのは、 まぎれもなくネオユニヴァースの功績である。 確かにネオユニヴァースはその最後の段階で敗れて夢を果たせなかったが、 選別の結果として敗者が生まれるからこそ、勝者はより美しく輝く。

20世紀最後の年に生まれたネオユニヴァースは、
「三冠」という王道に挑み、
そして敗れた。

略ー

それが困難なものであればあるほど、それを成し遂げることはもちろんのこと、それに挑むことの意味もより重いものとなる。 だからこそ、新世代の星たちよ、願わくば知ってほしい。過酷な王道に挑むことの美しさを。その王道の果てにある物語だけが持つ重みを・・・。

「―王道の果てにネオユニヴァース列伝」
http://www.retsuden.com/vol82.html

 

2015年現在、

春のクラシック二冠を制した日本のサラブレッドで王道から逸れた馬は一頭も居ない。

三冠競争が始まった1939年から一度も一頭も居ない。

これを『伝統』と呼ぶ。

 

聖火のごとく受け継がれてきたもの。

bandicam 2015-06-17 02-52-09-780 
若くしてすでに母国イタリア競馬で天才ぶりを発揮していたトップジョッキーは、異国の地でネオユニヴァースと三冠ロードで散ったあのミルコ・デムーロは、
 
2冠馬の手綱を再びドゥラメンテで握っている。
 
多くの限られし優駿たちが、
 
まるで聖火を受け継ぐ様にして走り抜けた伝統のクラシックロード。
 
 
 

「賞金を稼がせるつもりならまだ使えるのを、 惜しげもなく引退させてしまう。ああ云う所は実に立派だ。 天下の名馬も、彼の如きに認められて、はじめて終わりを全うし得るのかも知れない。」
セントライト

「先頭に立ったところで勝ったと思った。あれが油断だったんだな。
クモノハナ
「これがあのダービー馬かと目を疑いたくなるような、寂しい姿だった。」
トキノミノル
「ボストニアン、他馬をぐっーとぬいてゴール寸前!」
ボストニアン
「今後コダマにかけられるファンの期待は大きい。 実質が名声にこたえ得なければその罪は関係者に負わされる。 私はそれを恐れる。」
コダマ
「宿命のライバルといわれたメイズイが、 いま目の前で壊滅しようとしているのを見ては、やはり暗い気持ちにならざるを得なかった。」
メイズイ
 
 

「シンザン、どうした。三冠はもうだめだ。」

「俺は目が見えなかった。

お前がこれほどの大物とは知らなかった。」

「コダマはカミソリ、シンザンはナタの切れ味。ただしシンザンのナタは髭も剃れるナタである。」

「シンザンを超えろ!」

 

「喘鳴症といっても、こんなに烈しいのははじめてだった。 人気するかな、しないやろ。名残の菊や。ムーティエの走りっぷりをゆっくり見つめてほしい。」
タニノムーティエ
「僕はダービーに乗ったんじゃない、ヒカルイマイに乗ったんだ。」
ヒカルイマイ
「このレースは不滅だ。」
カブラヤオー
「有力馬が牽制し合ったから勝てたのではないか。」
カツトップエース
 
 
 

「驚いた、もの凄い競馬をしました。 ービーに次いでもの凄い競馬をしました。

坂の下りで先頭で立った9番のミスターシービー!」

「ミスターシービーはボクのアイドルでした。」

 

 

「競馬には絶対はない。

だがシンボリルドルフには絶対がある。」

「イギリスでもこれだけの馬はちょっといない。ヨーロッパに遠征したときは、ぜひ私に乗せてほしい。」

「あの馬はバケモノだあ。」

「日本でもうやる競馬はありません!あとは世界だけ! 世界の舞台でその強さをもう一度見せてください!」 

 

「『やっとシンザンを超える馬が出てきた』
超えるわけがないという思いはあります。」
 
 
 
「ダービーに関しては(シンボリルドルフより)テイオーの方が強い勝ち方だったのでは。」 「『トウカイテイオーが勝つぞ』と叫びたくなった。」 「トウカイテイオーよみがえりました!」
トウカイテイオー
 
「ああっ!!という悲鳴に変わりましたゴール前!」
ミホノブルボン
 
 
 

「じゃあウチの馬に乗ってダービーを勝ってくれないか。」

「この馬は、兄を超えますよ。」

「まず2000メートルの競馬を走って勝って、 そのまま別のメンバーと1000メートルの競馬をやってブッちぎったようなもの。」 「全然勝てる気がしない。ナリタブライアンに負けても仕方がないと納得してしまう。」 「ナリタブライアンなら、もっとすごい勝ち方をしていたはず。現時点でもナリタブライアンの方が上。 あの馬の強さはケタ違い。

「弟は大丈夫だ。弟は大丈夫だ。」

「ナリタブライアンは理想の馬だな。 ああいう馬を作りたくて苦労してるわけさ。 馬体のバランスも、筋肉の質も、走り方も、すべて理想にかなってる。」

ナリタブライアン

 
「もし先手を奪いに行っても、サニーブライアンは絶対に退かない。」
「評価はどうでもよかった。1番人気はいらないから1着だけ欲しい。」
サニーブライアン
 
「ゴールした時は最悪の気分。」
ネオユニヴァース
 
 

「ブラックタイドの下に乗りたい。」

 

「この馬、ちょっとやばいかも。」

 

いや、もうパーフェクトですよ、ホントにね。 走っていると言うより飛んでいる感じなんでね」

 

「世界のホースマンよ見てくれ! これが! 日本近代競馬の結晶だ!」

 

時代が悪かった。しょうがない。」

ディープインパクト

 

「終始馬体を併せる作戦を取ればルドルフなら勝てる。」
 
 
「メイショウサムソンが思った以上に強くなっていた…。」
メイショウサムソン
 
 

 

「当時はイレ込みが凄くて、競走馬になれないかと思った。」

 

「謙一とオルフェーヴルを信じている。」

 
 

「オルフェーヴルという 人を魅了する力強い馬がいたことを語り継いでほしい。」

オルフェーヴル

bandicam 2015-06-19 19-44-58-103 

幾千のドラマを産んで、 あの皐月をみて、

あのダービーをみて、 あの菊をみて、

あの三冠をみて今日までが創られている。

三冠を往くというのは、

その物語の中に自分たちも登場させたいからなのかな。

あの感動の中に入って行きたいから。

 
でもドゥラメンテには無理かな。
こんな感じだしね。
 
そういうゆとりだから。
 
3000はキツイからいいわっつって。
 

プロフカードぼたん

-ドゥラメンテ号とアドマイヤグルーヴ号の追いかけ記録(競馬)
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